楓子ちゃん誕生日イベントリレー小説 楓が舞う季節 ◆1◆
冬の寒さが押し迫ってきた、10月のある日。
楓子は、日課であるボール磨きをする為。登校時間より、一時間早く学校へ登校していた。
ボール磨きを始めた頃は、登校時間の2時間前に来なければ終らなかったこの日課も、今では1時間程で磨けるように上達していた。
クラブハウスへ向かって歩いていたその時、一本の銀杏の木の前で楓子は立ち止まる。
「あ〜、昨日まで緑だった葉っぱが、もう黄色に色づいてる」その色づいた銀杏を眺めながら、楓子は様々な出来事を思い出していた。
◆2◆
「はぁ〜、もうすっかり秋だな〜」
それは楓子がひびきの高校の一年生だった、今と同じような季節。
ちょうどボール磨きを始めて、一月程経った頃だった。「う〜ん、やっぱりこの時間はまだまだ寒いよぉ〜〜」
野球部の朝練が始まるのが7時半。まだまだ要領の悪い楓子は、6時前に学校に来るのが常だった。
10月末、冬の到来はまだ先とは言え、時にはコートを羽織りたくなるくらいに冷えることもある。
もっとも、昼間はそこまで寒くないので、今のところコートは着ていなかった。「はぁ〜、わたしって不器用だし、要領悪いから・・・。急がないと、練習始まっちゃうよ〜!」
楓子は小走りに当直の先生がいる職員棟へ向かった。最近はどの先生も楓子が朝早くからボール磨きに精を出しているのを知っているから、6時前でも起きて待っていてくれるのだ。
確か、今日の当直は高橋先生だったよね・・・。
そんなことを考えながら部室棟の横を走り抜けようとした時だった。「・・・あれ!? 佐倉さん!?」
驚いたような声に名を呼ばれ、楓子は足を止めて振り返った。
◆3◆
「早いんだね〜!野球部のマネージャーのお仕事かな?」
声の主は光……陽ノ下光だった。
「あ……え?え、えっと……ボール磨きが始まっちゃうから……じゃなくて、みんな綺麗なボールで練習して欲しいし……」
彼女とは同じ体育会系の陸上部員ということで、何度か会話くらいはしたことがあったが、
楓子は予期せぬ出会いにとまどい、しどろもどろになってしまった。「あ、ごめんなさい。驚かせちゃったね?」
光は笑いながら口の前に手をあてた。
その人なつっこい表情を見て楓子はいくぶん、平静を取り戻す。「じゃあ、佐倉さんはボール磨きのためにいつもこんな早い時間に学校に来てるの?」
さきほどの意味不明な受け答えを彼女なりに解釈し、光が訊ねた。
「う、うん。私、この時間から準備始めないと朝練に間に合わないから」
「そっか。マネージャーのお仕事ってやっぱり大変なんだねー。私じゃとてもマネできないかも」
「そ、そんなこと……。それに、陽ノ下さんだってこんな時間から朝練やってるんでしょ?私から見たらその方が凄いと思うよ」
「えへへ、ありがとう!でも、いつもはもうちょっと遅いんだよ。もうすぐ陸上の大会があるから、今日からは特別なんだ」
今まで気づかなかったが、光の顔は上気し、いくぶん息も弾んでいた。
おそらく、家から学校まで準備運動も兼ねて走ってきたのだろう。「そうなんだ。頑張ってね!」
「うん、ありがとう!今度の日曜日だから、もし良かったら応援に来て欲しいな。高志くんも来てくれるって言ってたし」
彼女の口から高志という名前が出た瞬間、楓子の胸がとくんと高鳴った。
(高志くんって……日下部くんのことかな……?)
そのことを訊こうとした刹那、光の表情が微妙に変わる。楓子の肩越しに、同じ陸上部員の姿を見つけたようだ。
「あ、そろそろ陸上部のみんなが集まる時間みたい。引き留めちゃってごめんね!それじゃ!」
「あ、うん。それじゃ」
もう一度「ごめんね」という意図を含んだ表情を残し、
光は疾風のように陸上のトラックへと駆けて行く。
サラサラのショートヘアをなびかせながら走っていく彼女の姿を見送った後、楓子は再び職員室に向かった。
◆4◆
「失礼します」
「おはよう佐倉さん、今日も早いね」
挨拶をして職員室へはいると当直の高橋先生が声をかけてきた
高橋は楓子の授業を受け持ってはいなかったが毎朝早くから登校してくる楓子を職員室で知らない先生はいなかった「おはようございます高橋先生、野球部の部室の鍵貸してもらえますか?」
「ちょっと待っててね」
高橋はそういうと壁に掛かっていた鍵の束から野球部の部室の鍵を探しだした
が、鍵は見つからなかった
おかしいなと思いながらもう一度、鍵の束を見直していた高橋だがあることを思い出し声をあげた「あっ、そういえばさっき野球部の子が来て鍵を持っていってたんだよ」
「そうですか」
「うん、そういうことだから部室の方に言ってみてくれるかな」
「はいありがとうございます、失礼しました」
楓子は高橋にお辞儀をして職員室を出ると再び部室連へと向かった
◆5◆
「う〜ん、でもこんな早くに誰が来てるんだろ・・・?」
部室に向かう途中、楓子はしきりに首を捻っていた。
こんなことはこの一月、一度もなかった。どんなに早い部員でも、それなりに朝練自体が早く始まることもあって、30分前に来るかどうかだったはずだ。「ウン、考えてても仕方ないよね! 部室に行けば分かるんだし」
中々素早く思考を切り替えて、楓子は部室に到着した。
考えてみれば自分より先に誰かが来ているなんて久しぶりだ。ちょっぴりワクワクしながら、楓子は部室の扉をノックしようと片手を上げた。どがしゃ〜〜〜〜〜んっ!
そんな楓子の眼前で、なんか物凄い物音が鳴り響く。
「・・・・・・えーと・・・・・・?(汗)」
一瞬困ったような顔になった楓子だが。
「ぬ、ぬぐはぁ!! おのれ無機物の分際で、俺様に楯突くとは何事ゾ!? って言うかヘルプミー!」
そんな4月頃の自分を思い起こさせる悲鳴が聞こえてきて、慌てて部室の扉を開けた。
◆6◆
「は、入るよぉ!」
ガチャッ!
部室に入ると目の前には大量のボールが転がっており、その先にはバットの山に押しつぶされている人影があった。
「・・・その声は佐倉か?ウウッ、早く助けてくれぇ」
「だ、大丈夫!?・・・あれ竹下くん?」
竹下と呼ばれた男は楓子と同じ学年の野球部員である。
そしてこの瞬間、楓子の朝練一番乗り記録はここでストップした。
楓子自身としてはこの記録はいつ止まっても良いと思っていた。
いや、むしろ早く練習熱心な誰かに破って欲しいと願っていた。
今日、めでたくその日が訪れたのだが、嬉しさよりも驚きが上回りしばらく楓子はその場に立ちつくしていた。「お〜い、ボーッとしてないで早く助けてくれよ。イテテッ」
「・・・あっ!ゴメンね。今バットどかすから」
声をかけられてやっと自分を取り戻した楓子は、急いでバットをどかし竹下を助け出した。
「サンキュー、助かったよ。しかしかなりカッコ悪い姿見られちゃったなぁアハハッ」
照れくさそうに笑いながら竹下は楓子に礼を言った。
「もう、ビックリしたよ。ドアを開けようとしたらいきなりスゴイ音がするんだモン」
竹下の笑顔につられ、笑いながら楓子は答えた。
「でも、なんですぐ助けてくれなかったんだ?俺、死ぬかと思ってたんだぞ。」
悪気は全くないのだが、少し意地悪く竹下が楓子を責める。
「だって、まさか竹下くんがこんなに早く来るなんて思わなかったモン。
普段の練習だって来たり来なかったりなのに。朝練に来るなんてホント驚いちゃったよ」負けじと楓子も切り返す。
「な、なんだよ俺が朝練にいるのがそんなにおかしいか?」
強がって反抗するも、竹下は明らかに焦りの表情を浮かべている。
(「あれ?なにか隠しているみたい、やっぱり聞いちゃダメな事なのカナ?
ううん、そんな事じゃダメ。悩み事があるならマネージャーとしてちゃんと相談に乗らないとネ。よし!」)楓子は思い切って、話しかけた。
「ねぇ、何かあったの?私でよかったら話してもらえるカナ?」
◆7◆
竹下は楓子の言葉を聞き、何故かため息をつくと。雑巾を楓子に渡す。
「はぁ〜、佐倉には関係ないことだよ。とにかく、ボール磨き、はじめるんだろう」
「う、うん・・・けど・・・・」
「けども、へちま無い。さっさとやるぞ」
「・・・・・うん!」
それから、楓子はボール磨きを初めて以来、初である二人でのボール磨きを始めていった。「ねえ、竹下君」
「なんだ?」
「なんで、私がボール磨きを朝早くからやってるって知ってたの?」
「そ、それは・・・・・」
「それは?」
楓子は愛くるしい顔で竹下を問いただしていく。その攻撃に竹内も負けたのか、全ての事情を話していった。「初めの頃は、あまり気に止めてなかったんだけどさ。朝練が始まる前に、昨日は汚れていたボールが綺麗になっていることがさ気になって。この前、何時もより早く学校に来たんだよ」
「そしたら、佐倉がボール磨きしている所を丁度見かけてさ。人一倍佐倉が野球部の為に頑張ってくれてるんだと感じたんだけど。流石にこっぱずかしいから、今日佐倉が来る前にボール磨きをしようと思ったら・・・」
「私みたいに、バッドに潰されちゃたんだ。結構竹下君もおっちょこちょいなんだね」楓子が軽く微笑むと竹下は顔を赤くして。何も喋らなくなってしまった。
黙々と二人でボール磨きをしていると当直の高橋先生がある一人の男性を連れてやってくる。
その、男性のお顔を見た瞬間、楓子の心に何かが訪れようとしていた。
◆8◆
「佐倉くん、今日も朝からせいがでるのう・・・・おや、今日は竹下くんも一緒かい」
そこに立っていたのは初老の老人、昔は名将との呼び声が高かったであるらしい、監督が立っていた
「おはようございます!監督さん」
「うむ、おはよう。毎朝ご苦労だね」いつもは部室に顔を出さない監督がなぜ??楓子は思った。
もっとも、なにより一番驚いているのは竹下のようだ。直立不動のまま動けないでいる・・・・
楓子は思い切って監督に聞いてみた。
「なにか御用ですか??監督さん」
「うむ、マネージャーの佐倉くんに知らせておきたいことがあってのう」
「わ、私にですか??な、なんでしょうか?」
「実はのう、急に練習試合が決まってのう、今度の14日の放課後なんじゃが」
「そ、そうなんですか??相手はどこの学校なんですか??」
「去年の同じ日にやった学校じゃ。なんでも納得いかないらしくリベンジだそうじゃ」
「え、ええ〜〜〜〜っ」楓子の頭の中に去年の練習試合の光景が鮮明に思い出された
確かに、最終回のことを考えるとそれまで完璧に抑えていた相手は納得いかないだろう・・・・ふと、そんなことを思い出していた「もうあれから一年たつんだぁ・・・・懐かしいなぁ。先輩たち元気にしてるかな〜」
◆9◆
そう、あれは一年前のこと・・・。
・・・・・・。
・・・・・。
・・・・。
・・・。「え、一年前!?」
「ど、どうしたんじゃ、佐倉クン!?」
「あ、イエ、なんでもありません。ただちょっと、超法規的処置の有無について心配になって・・・」
「ほっほっほ、佐倉くんも心配性じゃな」老監督は意味なく笑った。
「大丈夫、彼らなら急な試合でもやってくれるとも」
「ハイ、そうですね」頷きながらも楓子は噛み合わない会話に老監督の未来を憂いた。
ウン、そうだよ。今はこの老監督がボケ始めてることが心配だよね。
ウン、そうだよ。そのことに比べれば、
自分が今何年生だったっけ、なんて些細な問題だよネ!***************************************************
そんな楓子の葛藤をよそに。
部室の扉の向こうでは、抜け駆け男川鍋と、謎の中国人留学生子龍が鈴なりになって部室の会話を聞いていた。「聞いたか、子龍さん?」
「ああ、川鍋さん。これはチャンスだ、僕達の存在をアピールする」
「ああ。とりあえず詳細不明の竹下は口を封じるとして・・・」川鍋は爽やかに釘を打ち込んだバットを取り出した。
「そして他の会員に黙っていれば、今年は彼奴らは活躍できない」
子龍が普段の温厚な性格からは想像出来ない笑みを浮かべた。最近メッキがめっきり(<ぷぷぷ。)剥がれて来たらしい。
くっくっく・・・と笑いあう二人。去年はレギュラーを全員病院送りにしたからこそ、守る会会員も試合に出れたのだ。
だが試合があることを知らなければ? そう、彼らは試合には出られない=活躍できない=楓子ちゃんにアピールできない。「そうと決まれば早速レギュラーを背後から強襲、後に猛練習だ、子龍さん!」
「ハッ! 川鍋閣下!」二人はグラウンドへ駆け出した。そして・・・。
「「「「「「「やあ、おはよう、川鍋さん、子龍さん」」」」」」」
グランドでは、手に手に赤く染まったバットを持った同志達が、ピクピクするレギュラー陣の傍らで爽やかな笑みを浮かべていた。
かくして今年もひびきの高校は、リベンジを誓う相手との試合に謎の負傷者続出で臨むことになるのだが・・・。
まさかその直前に、あんな事件が起こるとは、楓子にも部員にも、予想することは出来なかった・・・。
◆10◆
「いてててててて!!」
「ごめんなさい!い、痛かった?」
「佐倉さん。こんなヤツ、もっと荒療治してやれば良いんだよ」
「そんなこと言うもんじゃないよ。練習頑張った結果の事故なんだし」
「そりゃそうだけどさ。普段の鍛え方が足りないんだよ」
練習試合も押し迫ったある日の放課後、
暴力で無理矢理勝ち取ったレギュラー陣と控えの紅白戦で、
控えチームの攻撃の際、右中間に飛んだ打球を追って
センターの綾野武人とライトの田辺智(旧姓・金月)が交錯して、綾野が負傷したのだった。学校の医務室につき合っているのは、マネージャーの楓子、そして代理キャプテンの西山喜久蔵。
いつもは爽やか調布系ボーイの西山が辛辣な言葉を発しているのは、
綾野が体よく楓子に看病してもらっているからだ。
ちなみに体格に優る田辺は、ケガもせずピンピンして紅白戦に出場し続けている。「痛いよ〜痛いよ〜。楓子ちゃんもっと優しく治療してよ〜」
「う、うん」
これみよがしに楓子に甘える綾野。
「くっ……!!」
以前、手首を負傷したときにも同じように楓子に看病してもらっていたことを知っている西山は、
爪が手にくいこんで血が滲むほどの握り拳を作り、(綾野、ぜってー後で死なす)
と決意を新たにするのだった。
「でも、この分だと今度の練習試合、出場は難しそうだよ?見たところ、骨に異常はなさそうだけど」
「そうだなぁ……控えから代わりの選手を考えておかないと」
その時、西山の脳裏に一人の選手の名前が浮かんだ。
◆11◆
・・・・その部員の名前は「柊雅史」
一年前、あの練習試合の後、同じマネージャーという立場を乱用し、楓子に近づいたのが白日の下に晒され、全会一致でその立場を追われ、今では楓子から一番遠い場所・・・・外野のさらに後ろのフェンス際で玉拾いをする毎日であった。
「とどめを刺すにはいい機会かもしれない」
キャプテン代理の西山は邪悪な微笑を浮かべながら思ったのであった。
そのころ何も知らない柊は、グランドの奥のまた奥の方でいつものように玉拾いに興じているのであった。
◆12◆
「お〜い、柊いるか〜?」
「柊君〜、西山(キャプテン代理)君が呼んでるよ〜」
グラウンドの奥の奥で球拾いに興じているであろう柊を西山の命令で万年補欠コンビの日下部と竹下が探していた
しばらく、そうして探しているとグラウンドの奥の奥の茂みの中で何かが動いた「なんだ?」
竹下がそう言いつつ茂みに近づいていくとそこから何かが飛び出してきた
◆13◆
茂みの中から現れた人物…。
それは、自称「演技と歌はおまかせ」だけど、ダンスがダメダメな(泣)舞台役者、虹野奏詩であった。
「い、一体そんな所でどうしたの!?」
と、日下部。「うぅ…僕ぁ極度の運動オンチだから、試合に出たくても出させてもらえないんです、だからここでチャンスを狙って……じゃなくて、何かお役にたてることはないかなー、と練習を見てるのです」
「でも、何でまた急に飛び出してきて…」
と、竹下。「いゃね、なんだか忙しいみたいだから手伝おうと思って…」
まさか、蛇が突然現れたために驚いて飛び出してきた、などとは言えない奏詩であった。
「でも、普通の蛇にしては胴体が太かったような…」
ぼそりと呟く奏詩。そして…「ま、まさか、アレは!?」
……続く?(爆
◆14◆
―――そう。ソレはある日突然の出来事だった。
まだ世の中には科学で解明できないものがたくさんある……。
そして、未知の世界への扉は、こんなにも身近で口を開けているのか、
という考えが我々の頭の中をリフレインし……「……おい、日下部。遠い目をしながら何を一人でブツブツ呟いてんだ」
「そうだよ。僕たちだって現実逃避したい気持ちでいっぱいなんだから」
「あ、ああ。すまない」
虹野が蛇と見間違えた胴体の太い生物は、全身タイツに身を包み、
両側頭部に耳(のようなもの)、臀部に尻尾(のようなもの)をつけ
た、
マッシヴな男性だった。
グラサンをかけ、口許にはダンディな口髭をたくわえている。しばしの間、彼とにらみ合って……というかこちらは硬直して動けなかっただけなのだが、
程なく彼の出てきたところから柊が顔を出した。「お。お前らこんなトコで何やってんだ?」
彼はにこやかに3人に疑問を投げかける。
柊の視界の中にも全身タイツの男が入っているはずだが、
全く意に介していない様子だ。「……いや、俺達がココで何をしてるかよりも大事なことを、お前は疑問に感じないのか?」
「??」
柊は素で彼らの意図を汲んでいない。
虹野がそっと全身タイツの男へと視線を巡らすと、柊はようやく合点がいったらしく、
照れくさそうに頭を掻いた。「あぁ、実はボール拾いをミカエルに手伝ってもらってたんだ。
茂みに入っちゃったボールを探すの大変だから、家から連れてきちまって。
他のメンバーには内緒な?」「ミカエル……」
彼らは全身タイツの男を遠目からしげしげと見つめた。
ミカエルと言えば、柊が飼っている犬の名前だ。
以前見たときには普通の犬だった。
声がちょっとおっさんっぽかったが、少なくともあんなにマッシヴでは……。「何か事情があってのことかも知れん!慎重に聞けよ、日下部!」
「お、俺が聞くの〜?」
「柊くんと一番仲が良いのは君だろ?さぁ、早く!」
「大丈夫。骨は拾ってやるから」
柊がミカエルに3人のことを紹介している間に、
彼らは密談をもって紳士協定を結んだ。
こういう時は悲しいかな、普段の部活での人間的地位が物を言う。しばしの逡巡の後、日下部が柊に訊ねようとした刹那、
3人の背後……グラウンドのある方向から楓子の声が近づいてきた。「どうしたの〜?雅史くん、まだ見つからないの?」
◆15◆
天の助けだ、日下部は思った。今日の柊はどこかおかしい。おかしいのはいつものことだが、今日のおかしさはどこか方向性が違う。違過ぎる。話が通じない。
けれど、そんな柊でも、楓子の言葉なら通じるだろう。「楓子ちゃん、いいところに!!」
「日下部さん? 雅史くんは・・・あ、いたぁー!」日下部の背後にミカエル(マッシブ)を連れた柊を見かけ、楓子は顔を輝かせて駆け寄った。
「大ニュース、大ニュースだよ、雅史くん! あのね、今度の試合ね、雅史くんも試合に出れるんだよ!」
「え!?」
「あのね、あのね、西山さんが・・・」楓子から事情を聞き、もちろん西山の企みを看過した柊だが、そこは余裕の笑みを浮かべておいた。
(ふ・・・貴様達は俺様を外へ追い出したつもりだろうが、背水の陣によって俺様は「楓子ちゃん」「雅史くん」と呼び合う仲にまで発展したのだ。ほんと、いつの間にか。ありがとう、子龍さん(謎)
「でも良かったね、雅史くん。ミカエルと一緒に頑張ってた甲斐があったよね!」
「ああ、そうだね。ありがとう、ミカエル」
「いや・・・げ、げふんげふん!! ・・・ばう。」「「「今喋ったーーーーーー!!」」」
「? どうしたの、三人とも? 急に?」
きょとん、と首をかしげる楓子だった。
「いや、どうしたのじゃなくて! 楓子ちゃん、よく見るんだ! いいかい、ミカエルは二足歩行なんかしないッ!!」
ズザザ、ズザザ、ズザザ、ズザザ・・・
虹野に言われて振り返った楓子が見たのは、間違いなくミカエルが四足で反復横飛びしているシーンだった。
「はっはっは、何をいうんだお前達! ミカエルは四足だぞ!」
「うん、そうだよ。わたしにも四足にみえるよ?」がびーん。
なんとなく楓子ちゃんに言われて自信を無くしつつある3人だった。
「でも・・・本当によかったね、雅史くん! 努力が実って・・・」
「うん、ありがとう・・・」
「おめでとう・・・って、えへへ、まだちょっと早い、かな・・・」慌てて浮かびかけた涙を拭う楓子だった。
「楓子ちゃんはせっかちだなぁ。どうせ泣くならさ、試合が終わった時に、嬉し涙を流そうよ」
指先で楓子の涙をふき取りながら、柊は爽やかに笑った。
「うん!」
楓子がにっこりと微笑んだ。
「えぇ話やなぁ・・・・げ、げふん! ばうわうっ!!」
「「「やっぱり喋ってるーーーーー!!」」」
かくして練習試合が始まろうとしていた。
◆16◆
「あ〜、ではスタメンを発表する。文句のある奴は胸の前で十字を切ってから言え!」
「あのぅ・・・お言葉ですがキャプテン代行、そういうのは監督の役割では?」
「竹下ぁ・・・逝ってよし!!」どがしぃっ!!!
「他に何か言いたい事がある奴はいるか?(爽笑」
「御意にございます。西山代理閣下!」
「うむ。では発表する。」試合に対する意気込みの現れなのか、はてまた『キャプテン(代理)』という言葉にうっとりしていただけなのか、それとも本性が出たのか(たぶん本命/ぉ)は不明だが、
今日の西山は、普段の(自称)温厚さが微塵も感じられないほど気合が入っていた。
◆17◆
「トップバッターは子龍、ポジションはショート。続いて2番ライト虹野。」
続々と発表されるスタメンメンバーを一同は聞き入った。
「7番レフト金月。続いて8番・・・」残すところあと2人、ここまで名前が出たのは子龍・虹野・沢渡・川鍋・柴崎・西山・金月の7人である。
まだ名前が出ていないのは急遽出ることになった柊と故障癖があるのを良いことに楓子ちゃんの恩恵を毎度預かっている綾野である。「僕は、たぶん指名されるだろうけど、綾野さんはキクちゃんのいや、全員から恨み買ってるからなぁ」
「ちょ、ちょっと待てよ!柊さん。いくらなんでもそれは・・・あり得る。確かに俺はケガ以外、今までに『美味しい』ことが色々と有りすぎたけどさ。」いわずとしれた事であるが守る会の人間は同志であり、敵である。
過去、幾度となく抜け駆け行為をした者がその都度粛正されてきた歴史がそれを物語っている。「8番センター柊。」
「よっしゃぁ!これで活躍が楓子ちゃんに!」はしゃぐ柊を横目に綾野は絶望の表情を浮かべていた。
なぜならば柊が指名されたポジションはセンター。
綾野の定位置であったのだ。「空いているのはキャッチャーだけじゃねーか。まさかとは思ったが。」
かすれるような声を『元』良識者の子龍はしっかりとキャッチし、すかさず追打ちをかける。
「キャッチャーが出来るのは日下部だな。アイツは中学時代シニアの正捕手だったからな。」
「子龍さん、それは早すぎ過ぎ。まだ決まったわけじゃないし。」柴崎がフォローを入れるも綾野の表情はもはやこの世の物ではなかった。
「いいモン、もういいモン」
綾野はすっかり自暴自棄になり、ジャンパーを羽織ろうとした。
その瞬間、最後の一人が発表された。「9番キャッチャー、綾野。」
「はひ?」思ってもいなかった結果に綾野は思わず口をあんぐりと空け、立ちつくした。
「なに?イヤなの?なら別の奴にするけど?」
「やる!やります!やらせてください!!ってかやらしてくれないなら今ここで死ぬ!」
こうして、スタメンが決まった。
ちなみに綾野はキャッチャー未経験者である。
絶対に負けられないこの試合でなぜ未経験者の綾野をキャッチャーに指名したかについてはこの試合が終わった後、
こっそりとゴミ箱に捨てられていた『綾野・日下部』と書かれたアミダくじだけが知っている(曝
しかし、まさかこの急造キャッチャーが後に大活躍するとはこの時点で誰が予期していただろうか。
◆18◆
『よろしくお願いします!』
ついに練習試合が始まった。
両チームがホームベースを挟んで整列し、高校生らしく爽やかに挨拶を交わす。「よ〜し、みんなベンチ前に集合!!」
すかさず川鍋が仕切り始めた。
(にゃろう、楓子ちゃんの前で良いトコみせたいがためのスタンドプレーか……)
川鍋の魂胆を見抜いた西山が沢渡にそっと目配せをする。
そこは沢渡も心得たもので、すかさず帽子のつばをつまんでサインを返した。
西山と沢渡は他のメンバーをさりげなく誘導し、
作戦を授けつつ川鍋を中心に円陣を組ませる。「みんな、気合い入れて行けよ!
ケガをして出られなくなったレギュラー陣のためにも!!」自分が仕組んだにも関わらず、しゃあしゃあと言ってのける川鍋。
「「「おうっ!!!」」」
気合一閃、かけ声とともにナインの体が低く沈む。
ベンチから円陣の中心の川鍋の姿が見えなくなった瞬間、
四方八方から浴びせられる蹴り・蹴り・蹴り。
ナインがグラウンドに散ったときには、
彼はボロ雑巾のようにグラウンドに横たわっていた。「く、くそぅ……あいつら……」
必死に立ち上がろうとするが、野球のスパイクによる蹴りは
見た目以上にダメージを与えていた。「川鍋さん!どうしたの!?」
心配そうに彼の傍らに駆け寄り、そっと手を取る楓子。
「ま、まさか……!!」
「そう。そのまさかだよ、マネージャー……」
川鍋は楓子の差し出した手を弱々しく握り返す。
「試合に備えて今日もこんなになるまで朝練やってたのね?
すご〜い、見直したよぉ!」……お約束な展開だった。
思わず脱力し、トドメを刺された川鍋はそのまま担架で運ばれて逝った。
しかし、川鍋は楓子の柔らかな手の感触を独り占めしたこと、
そして自分の株が若干上がったことによる満足の笑みを浮かべていた。「……少々誤算が生じましたな」
「まぁ良い。これくらいの誤差は試合で修正できる範囲内だ」
「御意」
セカンドの西山とサードの沢渡はブロックサインによって密談を交わしている。
当然、ショートの子龍もそれを傍受し、次なる作戦を謀っていた。マウンドに上がった1年生の柴崎は、その様子を見ながら
(このチームワークが本業の野球に活かされれば
甲子園も夢じゃないのになぁ……)と一人溜息をつくのだった。
兎にも角にも、投球練習さえ始まっていない段階で
早速4番バッターが謎の負傷により退場したこの試合。
進撃のラッパは、明らかにあさっての方向に吹かれた……。
◆19◆
「う〜、ドキドキしちゃうな! みんな、頑張れーー!」
守備位置についた部員たちに、楓子は懸命に声援を送っていた。
「「「「「「「「「は〜〜〜〜〜〜い」」」」」」」」」
全員が手を振って応えた。
「ボーク!」
審判が無情にも宣言した(^^)
「今年も勝てるかな? 勝って欲しいな。ウウン、負けても良いんだけど・・・良い試合、して欲しいナ」
「ふ・・・楓子は良いマネージャーだな」すぱ〜〜〜〜。
たばこを吹かしながら頷いたのは、どこかミカエルに似たマッシヴな男だった。
「「って言うかそれミカエルーーーーー!!」」
虹野は試合に出てるので、ツッコミコンビ(日下部&竹下)が叫んだ。
閑話休題。
「ふ・・・相変わらず変なチームだな」
いきなりのボークに冷や汗かきながら、敵のバッターは綾野に話し掛けた。
「だがな、今年は騙されないぜ、貴様らの演技にはな」
挑発。
去年やられたお返しだろうか、綾野を挑発するバッター。
だが。「今年こそ活躍して楓子ちゃんとLOVELOVE
今年こそ活躍して楓子ちゃんとLOVELOVE
今年こそ活躍して楓子ちゃんとLOVELOVE
今年こそ活躍して楓子ちゃんとLOVELOVE
今年こそ活躍して楓子ちゃんとLOVELOVE」綾野は聞いてなかった。
「スットライーク!! バッターアウトッ!!」
綾野の不気味さに青くなっている間に、いつの間にかバッターは三振になっていた。
まさかこんな活躍を綾野がするなんてッ!!
一同驚いたが、全くこれっぽっちもカッコイイ活躍ではなかったので、どうでも良かった。
「え、もしかして俺の活躍ってコレかよッ!!」
綾野は潰し合いリレー小説の藻屑となって消えた(謎ナレーション
◆20◆
なんだかんだで次のバッターも無難に内野ゴロに押さえこの回後1人といところでマウンドの柴崎はあることを思いついた
(せっかくだから柊お兄ちゃんに活躍させてあげよう)
前回の試合からの一年間でなぜか柴崎は柊になつき柊のことをお兄ちゃんと呼び慕うようになっていた
そして、竹下&日下部がここ数日でいつのまにか集めていた相手の癖などの書いた資料を試合前に見ていた柴崎は次の打者の苦手コースへと球を投げたカキーン
バッターはそれを詰まりながら打ったため柴崎のねらい道理、打球はゆるいフライとなってセンター方向へと飛んでいった
◆21◆
柴崎の狙い通り、相手バッターの打ったボールは柊の方へと飛んで行く。
「よし、これを取って楓子ちゃんとLOVELOVEだ〜♪」
柊がグローブを高く上げる。
「もらった!」と、柊は確信していた。…が、しかし。
横の方からひとつの影が飛び出す。
そして、ボールを取る。「ななな、なにぃ〜〜!?」
驚愕する柊。そして、大活躍の夢は瞬く間に崩れ去る。ボールを取りやがった主。
それは、何故だか知らないけど試合に出ちゃってる虹野であった。(何でライトの虹野がココにぃぃぃ〜〜〜!?!?)
あまりにも呆気にとられていて、心の中でそう叫びながらも声に出せない柊。
そして、虹野は自分のポジションへと帰って行き、ボールを高く上げ、満面の笑みを浮かべる。
そう、日頃の極度な運動オンチが、まるで嘘の様に…。「きゃー!虹野くん、すごぉ〜い!!」
楓子の声に、爽やかな微笑を浮かべて手を振る虹野。(いいい、今のありかよ〜〜〜!?)
愕然とする柊。当に開いた口がふさがらない。(ふふふ、貴方ばかりに良い格好はさせませんよ、柊さん…☆)
そう、心の中で呟く虹野。
……こうして、「楓子ちゃんとLOVELOVE権」をめぐる戰いは、ますます激化するのであった…。
◆22◆
「……!!……!!」
悠々と自分のポジションに帰って満面の笑みをたたえる虹野。
はるか向こうの三塁側ベンチでは楓子が虹野に何やら声をかけ続けていた。「そんなに今のプレーがカッコ良かったのかな?
……僕ってば罪な男?」今一度、三塁側ベンチに向かってガッツポーズを作る。
しかし、次の瞬間背後から肩を叩く者がいた。「何ですか柊さん。男のジェラシーはみっともないですよ?」
てっきりボールを横取りされてやっかんでいる柊が文句を言いに来たのかと思っていたが、
背後に現れたのは知らない顔だった。「……チェンジですよ?」
声をかけてきた男をよく見ると、相手チームのユニフォームを着ていた。
そもそもライトの虹野が三塁側を向いているのに、
センターの柊が背後から声をかけてくるわけがない。虹野は、いいところを見せたいがために夢中になり、
スリーアウトであることを忘れてライトの定位置に戻ってきてしまったのだ。
楓子は、ベンチから「チェンジ!!チェンジだよ〜!!」と声をかけていたらしい。真っ赤な顔をしてベンチへ駆け戻る虹野。ベンチ裏からは失笑が漏れていた。
「これでライバルがまた一人脱落……っと」
見事に自爆し、潰し合いリレー小説の藻屑となって消えた虹野でしたとさ☆
(謎ナレーション2
◆23◆
んなかんなで、波乱の匂いを漂わせつつ1回の表は終わった。
次はひびきのの攻撃だ。
ちなみにひびきの野球部(守る会バージョン時)は常に1回に大量得点を上げて
いる。
なぜか・・・。「じゃあ、楓子ちゃん『いつもの』お願いね♪歌詞はこれで。」
「うんわかった。しっかり応援するからみんなも頑張ってね。」ベンチに誰よりも早く戻った西山(キャプテン代理)は事前に用意していたメモをそっと楓子に手渡した。
『一回のウラ、ひびきの高校の攻撃は。一番ショート子龍』
どこからともなくウグイス嬢の声がしてきた。
そしてネット裏を見るとそこにはコンクールさながらの楽器を揃えた吹奏楽部が陣取り、甲子園のアルプススタンド状態になっていた。『♪タッタータッタラタッター♪』ハイッ!
「1番子龍が塁に出て、2番虹野が送りバント、3番沢渡タイムリー、 4番九頭見がホームラン!いいぞ! 頑張れ!ひびきの高。燃えろひ びきの高」
「よっしゃ!気合い入った!!」
「今日はそう来たかぁ(にやり)」
「ってか、俺は送りバント!?」西山が言っていた『いつもの』とは某在名球団の球団歌の替え歌であった。
今や知る人ぞ知るネタになったが、楓子ちゃんはドラゴンズファンである(曝
同じくドラゴンズファンである西山と子龍はそんな楓子ちゃんのために
いつの日からか大事な試合の時はこのようなお膳立てをするようになり、ナインもその気持ちに応えるべく常に歌詞通りの行動を守ってきた。
◆24◆
(同時刻、医務室)
「う゛ぅ゛今頃『アレ』が始まっている頃だな。」
「そうっすネ。川鍋先輩」
「なぁ、竹下。ホントは『4番川鍋ホームラン』のハズなんだぞ!」担架で医務室に運ばれていた川鍋は、様子を見に来た竹下に愚痴りまくっていた。
「仕方ないっスよ。先輩があそこで調子に乗って仕切っちゃったせいなんですから」
「・・・そういう性分なんだよ(怒)」
「ちなみに、4番は九頭見ですよ。」
「くっ、やはりそうか。悔しいがあいつは超高校級スラッガーだ。
しかし、よりによってなんで今日俺の打順とポジションを一発で奪う かなぁ。」悔しさを全面に押し出す川鍋だが、ケガで動けないが故に竹下を叩く事もできず、ただ歯ぎしりを繰り返す事しかできなかった。
試合の方はというと、歌詞通り子龍は内野安打でまず出塁し
続く虹野ははがゆさを感じながらも『歌詞の通りに結果を残さなくてはならない』という暗黙の掟に従い、きっちり送りバントを決め。
ホームラン大好きの沢渡は意図的にバットを拳一つ分短く握って左中間にタイムリーを打ち、
4番の九頭見が予告通りの特大ホームランをかっ飛ばし、ひびきのが早々に3点を先制していた。
◆25◆
『萌えよひびきの』の歌にノッたひびきの高校の攻撃は続いていた。
七番金月ホームラン〜
金月が7番なのに特大のホームランを放つ。恐るべきは萌え力だった。
そして八番の柊がバッターボックスに入る。八番柊、楓子ちゃんの右隣〜
「「「「「「「え!?」」」」」」」
惜しくも三振に倒れた柊が悔しそうに楓子ちゃんの右隣に座る。九番綾野が、楓子ちゃんの左隣〜
惜しくも三振に倒れた綾野が悔しそうに楓子ちゃんの左隣に座る。
いいぞ、頑張れ、ひびきの高校〜
萌えよ ひびきの高校〜〜〜〜〜〜〜〜「・・・・・・なんだこりゃーーーーーー!!」
西山がミミズののたくったような字で改竄された歌詞カードを見て絶叫した。「くそ・・・せっかくみんなが繋いでくれた勢いを、俺は!!」
悔しそうにベンチに拳を叩きつける柊に、左に座った楓子は労わるように言った。
「ダメだよ、柊さん。まだ大丈夫、挽回出来るよ・・・ネ?」
そっと叩きつけた拳を楓子ちゃんの手が包む。
「そうだよ、柊さん。柊さんは今日が始めての試合じゃないか、少しくらいのミスはしょうがない。情けないのは俺だよ・・・くそ!」
悔しそうに綾野が唇を結ぶ。
そんな綾野にも、楓子は優しい言葉をかけていた。
「一体誰が歌詞を・・・?」などと問うものはいなかった。
「やられた・・・!」
西山が拳を血が出るほどに握る。
まさか活躍を一旦捨てて、楓子ちゃんの隣という絶好のポジションを狙ってくるとは思わなかった。
ひびきのナインがつい歌詞に従ってしまう習性を利用した、姑息な手段だった。
かくしてひびきの高校は初回に打者一巡の猛攻を見せ、7−0とリードして攻撃を終えた。
しかし「萌えよひびきの」の神通力が終わり、ここからが本当の戦いの始まりだった・・・。
◆26◆
攻防は一進一退だった。
初回こそ7点を奪われた敵ピッチャーも、昨年の借りを返すという気迫のピッチングで、2回以降ゼロの山を築き上げる。
一方でひびきの高校は、昨年同様(後ろ暗い理由による)堅い守備を見せ、相手の猛攻を凌いでいたが、いかんせん今日のピッチャーは柴崎だ。そもそも柴崎の正式ポジションはピッチャーではなかったりする。
ピッチャー陣の中に守る会会員がいなかったため、ついつい投手全員を勢いで全員はり倒してしまい、結果、残ったものの中で肩が強くコントロールのある柴崎が投手に任命されたのである。
ちなみに、昨年はリリーフ投手として活躍した西山は、代わった直後にヒット性の当たり。それによって他人の株を上げてしまったことがトラウマになり、マウンドに立てなくなっていた(合掌)。4回に2点、5回に1点。6回を抑えたものの、続く7回には一発を浴びて2点。更に8回に1点を失い、スコアは7−6になっていた。
「柴崎くん、頑張ったね! 凄いよ、あの場面を1点で抑えたんだもん、大功労賞だよ!」
疲労困憊に達した柴崎を楓子が懸命に励ましている。
柴崎の肉体は限界を伝えているが、心は癒された。
しかし、結局8回の裏もひびきの高校は0点に終わり、最終回の守備が始まる。スコアは7−6。ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
そして最終回の攻防が今、始まった!!
◆27◆
……キィン!!
ひびきの高校のグラウンドに、金属バット特有の乾いた甲高い音が響き渡った。
白球は、不慣れなレフト・田辺(金月)の懸命に伸ばしたグラブをかすめ、
左中間を抜けていった。
その打球の行方を祈るような気持ちで見つめていた柴崎は、
マウンド上でがっくりと膝を落とした。9回表、相手チームの先頭バッターがヒットで出塁。
次のバッターも鋭いピッチャー返しの打球を放ったが、
センターへ抜けようという打球をショート・子龍がグラブでたたき落とし、
それをセカンドの西山がフォロー。セカンドベースを踏んだ後、一塁へ転送!
併殺となり、柴崎はあと一人抑えれば完投勝利というところまではこぎつけていた。しかし、いかんせん急造ピッチャーであり、それもまだ1年生。
ここまでの疲れも手伝って2者連続のフォアボールを出してしまい、
次のバッターへの初球、ボールを恐れて置きにいったストレートをねらい打ちされ、
走者一掃のツーベースを喰らった。マウンド上でうなだれる柴崎に内野陣が駆け寄る。
「……お前はよく投げた。さぁ、あと一人抑えて9回の裏に望みを託そう」
キャッチャーの綾野が柴崎の肩を叩き、励ます。
「……綾野先輩。うちもう投げられません……」
「な、何を言い出すんだ!ピッチャーはお前しかいないんだぞ?」
「うちの他にだって、西山先輩やベンチの空飛くんも投げられるじゃないですか。
うち、よく投げたんですよね?ならここで交代させて下さい……」「…………」
綾野は無言でセカンドの西山キャプテン代理を見やる。
眉間にしわを寄せ、首を振る西山。未だ、トラウマは払拭されていなかった。西山が苦虫を噛みつぶしたような表情で主審に
”ピッチャー交代・空飛”を告げようとした瞬間、ベンチから声が上がった。
◆28◆
「ダメ……ダメだよ、そんなの!」
声の主は楓子だった。
ベンチから身を乗り出し、張り裂けんばかりの声を上げる。「ここまでマウンドを一人で守ってきたのは柴崎くんなんだよ?
ここでマウンドを降りても良いの?限界を自分で決めちゃうの?」その声を聞き、柴崎はゆっくり視線を上げ、ベンチの方向に向き直った。
「私は野球のこと詳しくないからわからないけど、
ここで西山くんや空飛くんに交代した方が結果は良くなるかも知れない。
でも私……柴崎くんにこの試合に悔いを残して欲しくない!」言い終わったところで楓子はハッと我に返った。
グラウンドやベンチにいる者すべてが彼女を見つめている。「あっ……ごめんなさい。急にこんなこと言い出して……」
と、さっきまでの雄弁が嘘のように小さい声で絞り出した。
彼女は真っ赤になった顔をスコアブックで隠しながらベンチの奥に引きこもる。グラウンドはしばらく水を打ったように静まり返る。
気づくとセンターの柊がいつの間にかマウンドに来てひざまずき、
柴崎の両肩に手を置いた。「そうだよ、柴崎くん。楓子ちゃんの言う通り今日のマウンドは君のものだ。
ホラ、監督も君と心中するってさ」監督はピッチャー交代を告げず、座して動かない。
(それはいつものことなんだけどなぁ……)
という無粋なツッコミをする者はいなかった。柴崎は視線を周囲に巡らす。
マウンドには内野陣とセンターの柊の他、
レフトの田辺・ライトの虹野も駆けつけていた。
そして、全員が柴崎に向かって頷く。「……行けるな?」
「はい!!」
綾野からボールを受け取ると、柴崎は力強く立ち上がって大きく息をついた。
「よし、みんな守備位置につけ!この試合、絶対勝つぞ!!」
「「「「「「「「おおう!!」」」」」」」」
西山が全員を鼓舞する。
―――次のバッターの結果は言うまでもあるまい。ついに9回裏……最後のひびきの高校の攻撃が始まろうとしていた。
◆29◆
9回裏は打順良く、3番の沢渡から。
1打席目以降、ホームラン狙いで大振りしていたことに気づいた彼は
1回同様、バットを短く持った。
コンパクトに振り抜いた打球は三遊間を抜けるヒット。
思わず沢渡はベンチに向かってガッツポーズを作る。
それは楓子だけでなく、純粋にベンチにいる全員に対するものだった。
走塁の苦手な沢渡はそこでお役御免。代走に一矢が告げられる。そして4番・九頭見がバッターボックスに立つ。
1回にホームランを放っている彼に対し、ピッチャーは低目の球を投じた。
すると、九頭見はすっとバットを寝かす。慌ててサードが前進し、うまく勢いの殺された打球を拾い、一塁へ投げる。
低目の球は長打になりにくいが、転がすにはもってこいだ。
結果は間一髪アウトだったが、相手ピッチャーの心理を読み、
あわよくば自分も生きようという見事な送りバントだった。
ベンチからは九頭見に対し、賞賛の拍手が惜しみなく送られた。5番・柴崎はピッチングに力を使い果たしていたので敢えなく三振に倒れる。
……これでツーアウト2塁。一打同点、凡退すれば試合終了。
ここで燃えない西山ではなかった。
火の出るような打球はライト前へ!
しかし打球の勢いが鋭すぎ、2塁ランナーはホームに戻れず3塁ストップ。
それでも彼は、為すべきことを為した男だけができる、
満面の笑みを浮かべていた。7番・田辺。
9回表に相手チームに逆転を許した打球……
自分の目の前を通り過ぎていく白球に対し、あと一歩届かなかった悔しさ。
そして先ほどの打席、力なく三振した柴崎の気持ちを乗せ、彼は打席に立つ。
相手ピッチャーはその気迫に気圧され、ストレートのフォアボールを出した。9回裏・ツーアウトフルベース。
そこで狙ったように登場するのは千両役者・柊!!
ロージンをいつもより多めにつけ、バットを強く握りしめた。(楓子ちゃん、そしてみんな……俺に力を!!)
彼は静かに立ち上がり、ネクストバッターズサークルから
ゆっくりと打席に向かった。
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