9回裏は打順良く、3番の沢渡から。
1打席目以降、ホームラン狙いで大振りしていたことに気づいた彼は
1回同様、バットを短く持った。
コンパクトに振り抜いた打球は三遊間を抜けるヒット。
思わず沢渡はベンチに向かってガッツポーズを作る。
それは楓子だけでなく、純粋にベンチにいる全員に対するものだった。
走塁の苦手な沢渡はそこでお役御免。代走に一矢が告げられる。

そして4番・九頭見がバッターボックスに立つ。
1回にホームランを放っている彼に対し、ピッチャーは低目の球を投じた。
すると、九頭見はすっとバットを寝かす。

慌ててサードが前進し、うまく勢いの殺された打球を拾い、一塁へ投げる。
低目の球は長打になりにくいが、転がすにはもってこいだ。
結果は間一髪アウトだったが、相手ピッチャーの心理を読み、
あわよくば自分も生きようという見事な送りバントだった。
ベンチからは九頭見に対し、賞賛の拍手が惜しみなく送られた。

5番・柴崎はピッチングに力を使い果たしていたので敢えなく三振に倒れる。
……これでツーアウト2塁。一打同点、凡退すれば試合終了。
ここで燃えない西山ではなかった。
火の出るような打球はライト前へ!
しかし打球の勢いが鋭すぎ、2塁ランナーはホームに戻れず3塁ストップ。
それでも彼は、為すべきことを為した男だけができる、
満面の笑みを浮かべていた。

7番・田辺。
9回表に相手チームに逆転を許した打球……
自分の目の前を通り過ぎていく白球に対し、あと一歩届かなかった悔しさ。
そして先ほどの打席、力なく三振した柴崎の気持ちを乗せ、彼は打席に立つ。
相手ピッチャーはその気迫に気圧され、ストレートのフォアボールを出した。

9回裏・ツーアウトフルベース。
そこで狙ったように登場するのは千両役者・柊!!
ロージンをいつもより多めにつけ、バットを強く握りしめた。

(楓子ちゃん、そしてみんな……俺に力を!!)

彼は静かに立ち上がり、ネクストバッターズサークルから
ゆっくりと打席に向かった。
 
 

楓子ちゃん誕生日イベントリレー小説
楓が舞う季節
 
 
 
 
 
 
◆30◆
 
 

「ほっほっほ……代打、ミカエル」

「……はい?」

今まさに打席に入ろうとしていた柊は自分の耳を疑った。
そして次の瞬間、彼は自らの目をも疑った。
……飼い犬であるミカエルが打席に立っている。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!!
 ツッコミどころ満載でどこからツッコめば良いかわからないから順番に……」

柊はまずベンチ前へと詰め寄った。

「監督、なぜここで代打なんですかッ!!
 今までケンタッキーおじさんみたいに座して動かなかったのに」

「ほっほっほ……君の今日の成績、確か4打席連続三球三振じゃったのぉ?
 全員で作り上げたこの大事な場面、そんなバッターには任せられんな」

「そ、それは……」

柊は絶句する。
それは、一刻も早く楓子ちゃんの右隣の指定席に戻りたいがためだったなんて
さすがに口が裂けても言えない。

「そ、そうだ!楓子ちゃん。今日の試合、
 ここまでずっとセンターの定位置を一人で守ってきたのは僕だよね!?
 楓子ちゃんも、僕にこの試合に悔いを残して欲しくないよねッ!?」

先ほど楓子が柴崎へ送った言葉をそのまま自分にあてはめる。

「ご、ごめんなさい。
 私は野球のこと詳しくないからわからないけど、
 今日の雅史くん、相手のピッチャーさんに全然タイミング合ってなかったし……
 代打を送られてもしょうがないと思う」

 がびーん

信じていた楓子にまでこのようなことを言われてしまっては、
代打を送られることに対して文句のつけようがない。
正直、自業自得だし。

「つ、次に!!ミカエルってどう見ても犬じゃないか!!
 代打に送ったところで犬がバットを持てるわけが……」

柊が振り返ると、ミカエル(マッシヴ)は確かに二本足で打席に立ち、
バットを握っていた。
それも、あまりの握りの強さにぎりぎりとバットが悲鳴を上げている。

ミカエルから立ち上るオーラに身じろぎさせながらも、
柊はさらにまくしたてる。

「ひゃ、百歩譲ってミカエルが打席に立つのは飼い主として許しましょう!
 でも、ミカエルは野球部員じゃないでしょう!?」

「……そういえば、ミカエルも君と一緒にボール拾いやっておったのぉ。
 儂は全てお見通しじゃ。
 そんな彼を野球部員として認めても良いと儂は思うが、の」

……またしても自業自得だった柊は、半泣きになりながら続けた。
 
 
 

◆31◆
 
 

「えぐっ……えぐっ……
 お、俺達がミカエルを野球部員と認めたって、相手チームが黙ってないですよ!!
 明らかに高校生のいでたちじゃないし、っていうか犬だし!!」
 

「さすがひび高……すげぇ隠し球持ってやがったぜ……」

「ああ。明らかにただ者じゃないな……一目でわかる」

「しかし俺もこれからプロを目指そうという男。
 どんな相手の挑戦も受けていかなきゃ、プロの厳しい世界じゃ
 決して生き抜いて行けない……」

「よし、それでこそうちのエースだ!!成長したな……」

「ふっ、よせよ。誉めるのはヤツを抑えてからだ」

「へへ……そうだな」
 

何やらマウンドで男2人が肩を抱き合い、お互いを分かり合っていた。
どうやら文句は無いようだ。

「かっとばせ〜!!ミッカエル!!」

「俺達の元気、お前に託したぜ!!」

「ミカエルくーん!頑張って!!」

もはやベンチはミカエル一色に染まっていた。

(いくらプロ目指してるからって、犬の挑戦受けるなよ……)

柊の呟きは誰にも聞こえなかった。
彼は肩を落とし、ベンチの隅でいじけるより他に道は無かった。(ちーん)

ベンチの声援を受け、ミカエルは打席からダンディに微笑む。
口許からのぞいた犬歯(金歯)から光がこぼれる。
ミカエルはふっと目を閉じると、手に持つバットを水平に寝かせた。
そのフォームは、かの三冠王「おみあい」を倣ったものか。

そして、普通の高校生が使うもの人が使うものより長尺の……
「物干し竿」と呼ばれた伝説のバットを彷彿させる木製バット。
通常、高校野球では金属バットを使うものだが、
決して木製バットが禁止されているわけではない。

相手にとって不足無し!
相手ピッチャーは満塁ということで振りかぶり、第1球を投げ込んだ!!
 
 
 

◆32◆
 
 

「ス……いや、ボール!」

主審はストライクをコールしようとしたが、一瞬の躊躇の後、ボールと判定した。

「ボール半個ぶん外れたか……それにしてもさすがだぜ……」

相手ピッチャーはキャッチャーからボールを受け取り、マウンドをならす。
ミカエルはその際どい球に対し、微動だにしなかった。
グラサンの下からのぞく鋭い眼光は、相手ピッチャーを見据えたままである。

(あいつの秘密兵器のフォークを1球目から見切るとは……。
 選球眼も良いし、そして何より落ち着いている。
 これはもう、あいつの一番自信のある球を放らせるしかないな)

キャッチャーがサインを送ると、ピッチャーは不敵に笑った。

グラウンドは、ピーンと張りつめた氷のような雰囲気に包まれた。
見ている者は皆、呼吸もできない。
静まり返るグラウンドに、ピッチャーの土を蹴る音が響いた。

……次の瞬間、ミカエルの目が光ったように見えたのは、傾きかけた夕陽のせいか。
空を切り裂くような音の後、楓子の顔にスイングの衝撃波が届く。
―――そう。バットの先端が音速を超えた証拠だった。

結果は、スコアボードにライナーで当たるホームラン。
もしスコアボードに当たっていなかったら、どれだけ飛距離が出たことかわからない。
バットをそっと地面に置くと、ミカエルは悠々とダイヤモンドを回り始めた。

「うおおおおおおおお!!やったぁ!!!」

「さすがミカエル!やってくれたぜ!」

「すごーい、ミカエルくん〜!!」

ベンチは歓喜の渦に包まれる。
相手ピッチャーは、あれが打たれたなら仕方ない、という
さばさばした表情を浮かべていた。

代打満塁サヨナラホームラン。ミカエル伝説の開幕だった―――
 
 
 

◆33◆
 
 

 ……てしっ

巨体に似合わず、気の抜けるような音とともに彼……
ミカエルは確かにホームベースを踏んだ。
その音がやけに情けなかったのは、肉球があるからだろう。

と同時に、ベンチから部員たちが飛び出してきた。
その中には、竹下に肩を貸してもらっている川鍋の姿もあった。
ミカエルは輪の中心でもみくちゃにされながらも、ナインに整列を促す。
それに従い、部員たちはホームベース横に整列する。

「11−8でひびきの高校の勝利! 礼!!」

『ありがとうございましたぁ!!』

試合終了のサイレンが高らかに鳴り響いた。
口々に今日の試合のことを興奮ぎみに語り合うメンバーたち。
その中に、ミカエルの姿は無かった。

「あれ?ミカエルは……?」
 

煙草をふかしながら一人、ゆっくりと歩くミカエル。
その影は彼の向かう坂の下へと長く伸びていた。
ふと、その影に違う人間の影が交わる。

「忘れ物ですよ」

相手の高校のキャッチャーだった。
その差し出した手には、ミカエルの使った長尺バットが握られている。
ミカエルは無言でそれを受け取った。

「さすがです。まさかあの球が打たれようとは……。
 あれは彼の投じた、今日一番の球でした」

「……ふ。あれは俺の実力じゃねぇよ」

「ははは。あなたならそう言うと思ってました。
 そのグリップエンドを見たときからね……」

その長尺バットのグリップエンドには、部員全員の名前が書かれていた。
ミカエルはそれをしばし見つめた後、踵を返してまた歩き始めた。

「待って下さい。名前を……名前を教えて下さい」

「俺の名前はミカエルだ」

「それは仮の名前でしょう?あなたの本当の名前ですよ……」

「そこまでお見通しとはな……お前、良いキャッチャーになるぜ」

煙草の煙をを大きく吐き出し、キャッチャーの方向に顔だけ向ける。

「俺の名はサブ…ただのチンピラさ…」

それだけ言い残すと、ミカエルことサブは、また歩き出した。
その右手には長尺バットがしっかりと握られている。

「サブ……ですか。覚えておきますよ……」

呟くような声は、茜色の空に消えてなくなっていく。
風が凪いだ。
一瞬、1枚の楓の葉がキャッチャーの視界を遮る。

その後、サブの姿を見た者はいない……

◆34◆
 
 

―――練習試合から約1年。
あの試合からひびきの高校は大きく成長し、
この夏の甲子園決勝では大門高校を破って優勝していた。
その大門高校に転校した楓子だったが、
彼女にとってはその決勝戦よりも、去年の練習試合の方を鮮明に憶えている。

「ミカエルさん……どうしてるのかな」

小さなつむじ風が、グラウンド脇の木々の葉を揺らしている。
一足早い冬の訪れを知らせる冷たい風が、
1本の銀杏の木の下に佇む楓子の髪を撫でたその時。

「ほっほっほ……久しぶりじゃの、佐倉くん」

彼女の肩越し……グラウンドの方から老人の声が響いた。
振り返るとそこに立っていたのはひびきの高校の監督……
いや、元監督と言った方が正しいか。
彼はひびきの高校全国優勝を花道に勇退し、
現在は悠々自適の生活をしている。

「か、監督さん!どうしてここに……?」

「いやなに。久々に佐倉くんの顔が見たくなってのぉ。
 それに儂はもう監督じゃないぞ?」

彼は笑いながら銀杏の木を見上げた。

「ほぅ……もう銀杏がこんなに色づいておるのか。
 去年の練習試合を思い出すのぉ」

「そうですね。私も今、ちょうどその試合のことを思い出していたんです」

「ほぅ、そうかね。あの試合は儂にとっても特別じゃった。
 あやつが試合を決めたんじゃからな……」

「ミカエルさんですね?」

「うむ。ミカエル……いやさ三郎と呼んだ方が良いかも知れんな」

「三郎?」

「もう話しても良い時期じゃろう。ミカエルこと三郎は、儂の一人息子じゃ」

「えっ……!」

思いがけない話に楓子は驚きを隠せなかった。
一人息子なのに三郎という名前も不自然に感じたが、それは黙っておいた。

「年寄りの長話になるが、聞いてくれるかな」

そう言うと彼は、遠い目をしながら思い出すように一つ一つ話し始めた。
 
 
 

◆35◆
 
 

「佐倉くんは儂が昔、名将とか呼ばれていたことを知っておるかの?」

「はい。赴任する先々の高校を甲子園に導いたって聞いてます。
 確かあだ名が白髪鬼とか……」

「あの頃はまだ儂も若かった。自分の名を売ることに必死でな。
 名声のために選手を道具のように扱って、結果を残してきた」

「本当の話だったんですね。今の監督からはとても想像が……
 あ……す、すみません」

「ほっほっほ。無理もない。今や儂は白髪仏(ホワイトヘアーブッダ)などと
 呼ばれておるからな。
 一人息子の三郎が儂の率いる野球部に入部してきたときには、
 それはもう厳しくしごいたものじゃ。
 鬼監督の息子が控えじゃみっともないからの……」

「…………」

「そして、そうすることがヤツのためになると思っておった。
 その潜在能力には、いち高校生とは思えないようなものがあったしの。
 しかし、それは大きな間違いじゃった。
 ひたすら野球漬けの生活を送らせたことがたたって、
 ストレスが溜まっていたのじゃろう。
 ……ヤツが2年生の夏の予選前、
 ちょっとしたいさかいから暴力事件を起こしてな」

「それじゃ、甲子園は……」

「うむ……。警察沙汰になってしまい、出場停止じゃ。
 ヤツにはまだ来年があったが、3年生にとっては最後のチャンス。
 それを自分が潰してしまった。
 3年生は三郎を決して責めはしなかったが、ヤツは自分を責めにせめた末に
 自主退学した。そして儂もその年限りでその高校の監督を辞任した……」

「監督とミカエルさんの過去にそんなことが……」

「家も出た三郎は、風の噂で極道に入ったと聞いた。
 しかし儂はいつか三郎が帰ってきてくれると信じ、
 去年まで野球の監督業にしがみついていた、というわけじゃ……」

「でも、なぜあんな格好をしてたんでしょう?」

「多分、顔を合わせづらかったんじゃろう。
 それで柊の飼い犬の真似などして……あのひねくれ者めが」

ひねくれ者とかそういう問題じゃないような気もしたが、楓子は黙っておいた。

「しかし、よく犬のフリをする三郎と普通に接してくれたのう。
 感謝しておる」

「いえ。きっと何か深い事情があるものだと思ったので」

「佐倉くんは優しいのぉ。そしてあやつらもな……」
 
 
 

◆36◆
 
 

彼は秋晴れの空を見上げる。
楓子は元・鬼監督の目に光るものが滲んでいるのを見たが、
見なかったフリをして、彼と同じく視線を中空に這わせる。
細い飛行機雲が、東の空へ一直線に伸びているのが見えた。

「……元気にしてますよ。きっとこの同じ空の下で」

楓子の言葉そのものから立ち上るような、柔らかな優しさ。
それは、彼女の言葉が全く飾らない、100%の本音であるからに他ならない。

「そうじゃと良いがな。こんな狭い、親子のしがらみなどに捕らわれる日本じゃなく、
 海の向こうでとか、のぉ」

遠くの方で部室連のガラスに陽光が反射している。
真っ白な朝の光が、グラウンドを満たしていた――――
 
 
 

「さぁ、ここシアトルでは一人のスターが生まれようとしています!
 昨年秋、マリナーズにテスト入団し、
 今季マイナーリーグを一足飛びに飛び越した無名の彼が、
 今まさにメジャーリーグの歴史を塗り替えようとしているのです!
 そのいでたちから『ジャパニーズヤクザ』の異名をとる彼ですが……」

部室連の中、野球部の部室に忘れられた誰かの携帯ラジオから、
メジャーリーグの実況放送が流れていた。
今季、彗星のように現れた国籍不明のマッシヴな男が打席に入ったときである。
手には一際長いバットが力強く握られていた。

それがあのミカエルであることを監督と楓子、
そしてひびきの高校野球部員が知るのは約1ヶ月後。
あの打席でメジャーリーグの年間本塁打記録を更新した彼が、
アメリカンリーグのMVPを受賞したときである……
 

【END】
 
 
 

*リレー小説執筆者一覧*
 
◆前編◆
空飛ぶイノブタクッキー(1・7)
柊雅史(2・5・9・15・19・25・26)
子龍(3・10・14・18・22・27・28・29)
柴崎洋魔(4・12・20)
ドラサンズ(6・16・17・23・24)
川鍋保(8・11)
虹野奏詩(13・21)
  
◆後編1◆
空飛ぶイノブタクッキー(30・31)
  
◆後編2◆
子龍(30A・31A・32A・33A)
柊雅史(34A)
  
◆後編3◆
子龍(34B・35B・36B)
  
 
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