佐倉楓子さん誕生日記念SS
「ほのかな香りに誘われて…」
しんきろう 作
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「きゃぁーーーーーーーっ!」
「何よ、なに。どうしたの、楓子?」
突然、娘の部屋から悲鳴が聞こえてきたのだ。ウトウトし始めてはいたが、急いで寝床から
体を起こし、母は娘の部屋に向かった。律儀にもノックはしてみるが、非常事態である。
中からの返事など待っている暇はない、とでも言うようにそのままドアを開けて見た。
「夜遅くにそんな大声出して、ご近所に迷惑でしょ…って、あなた、なんて格好してるの?」
母が驚くのも無理はない。自分の娘が一糸纏わぬ姿でベッドの上に座っているのだから。
娘の方も一瞬何があったのかわからない様子だったが、ベッドからズレ落ちかけていた
大判のストールをたぐり寄せ、急いで身体を隠した。
『あはは…あのね、アロマオイルをパジャマにこぼしちゃって、それで着替えてたの』
貼り付いた笑顔のまま誤魔化してみたが、脱いだ服が辺りにないのはバレバレである。しかし
母の方はそれに気付いていない様子で、大きなため息を一つつくと
「もう、相変わらずドジなんだから。とにかく、早く着替えてもう寝なさい。風邪ひくわよ」
『はぁい』
といって、部屋を後にした。
母の足音が遠くなっていくと、ベッドがもぞもぞと動き出した。いや、正確には布団の中に
押し込められていた何かがもがき始めた。
『あ、ごめんねぇ。すっかり忘れてた』
そう言って、押さえ込んでいた布団を一気に剥がしてやった。
「ぷはぁっ…」
中から出てきたのは、息ができずに顔を真っ赤に染めた楓子だった。
『大丈夫だった?ちゃんと生きてる?』
意識があるか確認しようと少女が近寄っていくと、
「きゃ…むぐっ!ふむぅーーーーーーっ!」
『取って食べたりもしないし、訳もちゃんと話すから、大声出さないで。お願いだから…』
後ろから羽交い絞めをするように口を両手でふさぎ、楓子の耳元でそう囁いた。楓子は観念
したのか、小刻みに首を立てに振ると、口をふさいでいた両手がはずされて呼吸が楽になる。
それから数十分後。着替えを借りて少し興奮気味のカメ子(仮)は、自分が楓子に飼われて
いるカメであること。楓子が誤ってアロマオイルをかけてしまったせいで、こうしてヒトの
姿になったこと。自分がここに来た目的は、楓子の願いを叶えてやる手伝いをすること。
その願いも、楓子の身体に残ったわずかな記憶を通してあらかた知っていること、などを
とつとつと何度も楓子に説明した。
楓子のほうも、それで全てを納得できた訳ではなかったが、カメ子の身体からはほんのりと
ローズマリーの香りがするし、一生懸命世話をしていた亀の姿も見えない。それらを考えて
みるとカメ子の言い分もあながち間違いではないのだろう、と納得せざるを得なかった。
「それじゃ、ホントにあなたがあのカメ子なの?」
『だから何度も説明してるじゃない』
「ホントにそっくりだよねぇ…コレがあのカメ子なんて、なんか今でも信じられないよ」
気持ちが落ち着くから、といってカメ子が煎れてくれたホットミルクをすする。
(でも、電子レンジの使い方なんて、どうやって覚えたんだろう?)
『ねえ、そのカメ子って言うの、いい加減やめてくれない?カメラを首からぶら下げて
アイドル追いかけてる少年じゃないんだから』
「それってかなり毒のある言い方じゃない?」
『あら、そう?』
漫画チックに汗の滴が見て取れるほどの困り顔の楓子とは反対に、カメ子は涼しい顔をしている。
『とにかく!もっと、こう…女の子らしい名前を考えてよ。一応、私の飼い主な訳でしょ?』
しばらく首を捻って一生懸命考えていた楓子だったが、突然ナイスな名前が閃いたのか目を輝かせた。
「ねぇ、椛子(もみじこ)っていうのは、どう?」
『椛子…ねぇ。楓子に椛子?』
と言って、交互に指を指してみる。
「そう。どうかなぁ?」
『却下』
考える間もなく、むげに言い放つ。
「ええ〜、なんで?いい名前だと思うけど?」
『やめてよ。上方漫才師みたいで、私、イヤ』
楓子は、その光景をちょっとだけ想像してみた。
お正月番組の裏でヒッソリと放送されている演芸番組の一場面。
軽い調子のお囃子に乗せて双子漫才師が登場する。
「どうもぉ、佐倉楓子です〜」
『椛子ですー。いやぁ、それにしても最近めっきり寒くなってきましたな』
「そやなー、そういえば、アンタ見ました?シドニーオリンピック」
『ああ、見た見た。かっこよかったなぁ』
「特に陸上競技は燃えたね。100m走なんかかっこええよねぇ」
『あんた、そんなもんに燃えるん?』
「なんで?カッコええやん。世界一速い者は誰か!ってね」
『そんなん、私が出なきゃ何も意味ないねん』
「なんで?カメのアンタが出たってぼろぼろに負けるのがオチやろ?」
『何言うてまんねん。私は神様よりも早いって話、知らんの?』
「なにそれ。初耳よ」
『ほな説明してやるさかい、紙と鉛筆持って来。』
「ほい」
『ええか。まずスタート地点にアキレスっちゅう神様がおんねん。あ、アキ
レスっちゅうんは、めっさ足が速くてな。神様の中でも一番速いって言わ
れてまんねん』
「ふんふん」
『そんでハンデっちゅうことで50m先に私がおるんよ。もっと、ハンデくれ
てもいいのにな。そんでこの状態で、よーいドンで走り始めるんや』
「ふんふん」
『足の速い神様や。50mなんてあっという間や。でもな、私はその間に
いくらか前を走ってる』
「歩いてるんとちゃう?」
『チャチャ入れんといて!そんで次に神様が私のいた所に追いついても、私は
その間にまた少し前を走ってる』
「おぉ」
『そのまた次に神様が私のいた所に追いついても、私はまたその少し前』
「おぉーっ!」
『また追いついても、また少し前にいてまんねん』
「おぉーーーーーっ!!」
『こんな感じで、神様はずーっと私を追い越すことができへん。つまり私は、
最も足の速い神様に勝ってんねん』
「すっごーーーーーーーーい!!!アンタってそんなスゴかったんやね?」
『……』
「どしたん?」
『…あんた、アホか?ホンマにこの話、信じとんの?』
「へ?だって、神様が追い越すことできへんのやろ?」
『あのな、単純に考えてみ。足の速いモンと遅いモンが競争したら、速いモンが
勝つに決まっとるやろ?これはな、「パラドクス」いうてな、数学的な要素
を含んだ茶飲み話でまんねん。あんた、現役の高校生やろ?』
「数学、苦手やモン。それにしても、アンタさっきから『まんねん』ばっか
言うてへん?なんで?」
『は?だって、よく言うやろ?「カメは万年」って…』
「……」
『……』
すきま風が吹き込んだ気がした。
『「ども、失礼しましたぁ……」』
てけ、てんてんてん…… 【妄想終了】
「イイと思うんだけどなぁ」
『どういう感覚してんのよ…とにかく、私は絶対にイヤ!』
裏ツッコミが入る勢いで、早々に拒否される。楓子は、せっかく思いついた
ネーミングをむげに扱われて、しゅんと身体を小さくした。そして、どうして
いぢめるの?と言わんばかりに上目遣いにカメ子を見つめる。その目は、涙が
潤んでいるようにも見えた。
それを見たカメ子は、大きく肩を落としてため息をつき、観念した。
『ふぅ、しょうがない。それじゃ、「子」の字を取って椛っていうのならいいよ』
「ホント?それじゃ今日からカメ子のことは、椛(もみじ)って呼ぶね」
『だから、このコは…』
翌日。ひびきの高校の文化祭前日。
「ただいま」
覇気のない声のまま帰宅してきた楓子の足取りは重かった。カレに会いに行くべきか、それとも
このまま思いとどまるべきか、未だに決心がつかないでいた。会いに行くのであれば早急に
結論を出さなければならない。特急電車を使えば、明日の朝一番で行っても間に合うのだが、
年頃の女の子のこと。いろいろと準備もある。
楓子は、授業中もずっとこの事を考えていたが、考えるほどに胸の奥のわだかまりに悩んでいた。
家に着くと、そのまま自分の部屋に直行し、椛がいないか探した。もちろん、周りなどほとんど
見えていない状態だったから、リビングに書き置きがあるなんてことにも気付かない。
「椛ぃ…って、あれ?」
出かけたのであろうか、夕べ貸したパジャマがきちんとたたまれて部屋のテーブルの上に置いてあり
クロゼットの中は、楓子の服がいくつか引っ張り出されたままになっていた。楓子は、心配になり
そのまま椛を探しに行こうとも思ったが、行き先もわからず無闇に探しても徒労に終わるのは目に
見えていたので、とりあえず散らかった服を片付けることにした。
そのうちに、玄関の扉が閉まる音がして、椛が部屋に入ってきた。
『あぁ、楓子。おかえり』
「あぁ、楓子…じゃないよ。どこ行ってたの?誰かに見られたら大変な事になるじゃない」
『そんなヘマはしないわよ。リビングの書き置き見なかったの?』
「そんなのあったんだ。気付かなかった」
『お母さん、弟達を連れて出かけたみたいよ。それも1泊旅行みたい。そんなことよりも…
はい、コレ。私からのプレゼント…かな』
「ぷれぜんと?…って、そんなもの買うお金、どうしたの?」
とーぜんの疑問である。小遣いは楓子が貰ってる訳だし、ヒトの姿になったばかりの椛に
何かを買うお金の当てがある筈もない。
『あはは…それね。あそこからチョロっと拝借したの。はい、コレお釣り』
と言って、椛が指差した先はごみ箱。中には、原形をとどめていない陶器の欠片が捨てられていた。
「エ…?ああ!レオンちゃんの貯金箱!お気に入りだったのに。椛、どうしてこんな事するの?」
『だって、こうでもしないと何も行動しないじゃない。それにホントは、カレのところ行きたくて
仕方ないんでしょ』
「う……」
図星だった。そう書かれた矢が背中から突き抜けたように、口答えしようにもグウの音も出なかった。
(でも……)
『ほぅら、そんなにのんびりしててイイの?そのバス、今夜出発だよ』
「エ?今夜?……わーっ、ホントだ!どうしよぅ〜〜」
『そんなに慌てないで。まだ時間はあるんだから、とりあえず着ていく服を選んだら?』
楓子は急いでクロゼットを開け、さっき片付けたばかりの服をあれこれ物色し始めた。
『まったく…世話のかかる飼い主だこと』
椛はふっとため息をつき、楓子の世話に追われ続けた。
そうこうしている間に出発時間も押し迫り、身支度も整ったところで軽い夕食を済ませてから、椛と
二人で家を出た。…え?ふたり?
「ねえ、どうして椛まで一緒について来るの?」
『どうしてって、私は楓子の願いが成就されるのを見届けるっていう使命があるからね。それまでは
どこへ行こうとも一緒について行くの』
どうもおかしいと思っていた。細かい数字までは忘れていたが、およそどのくらい貯金していたかは
覚えている。しかし、渡されたバスのチケットの往復分を差し引いても、先程のおつりは少なすぎた。
まさか、自分の分まで買っていたとは。チャッカリしているカメである。
「そんなこと言って、ホントは椛も文化祭に行きたいんじゃないの?」
『はは…知ーらないっと』
椛は、ぷいと横を向いてしらばっくれた。そんな様子を楓子は、微笑ましく思いながらバスに乗り
込んだ。久しぶりの町並み、懐かしい友との再会に対する期待と、一抹の不安を胸に。
楓子たちは早めのブランチを済ませると、町並みを見てみたいからと言う椛の提案もあり、ひびきの駅から
学校まで歩いていくことにした。距離にすると結構あるのだが、開場したばかりの時間でもあったし一番に
飛び込むのには少し気恥ずかしさもあったので、楓子は時間つぶしも兼ねてその提案に乗る事にした。
ひびきの高校は小高い丘の上にあったため、文化祭の実行委員らしき生徒や派手な衣装を纏った生徒が数名、
丘のふもとでビラやチラシを道行く人に配っていた。二人は、それを受け取ると校門へと続く緩やかな坂を
登っていく。冬の訪れを感じさせるような少し肌寒い風が、ほてった身体に気持ちよく感じられた。
(そういえば、みんなこの坂を走っていたんだよね…)
野球部がグラウンドを使えない日は、筋力トレーニングや走り込みが練習メニューのメインだったのを
思い出し、部員達が走る姿を今見ている風景に重ねてみる。もちろん、その中にはカレの背中もあった。
そのうち、パンフレットを見ていた椛が、目を輝かせながら話し掛けてきた。
『へぇーっ、結構いろんな物が出るんだね。あ、運動部の対抗試合なんかも見られるんだ』
「うん、そうだよ。ひびきの高校ってそういう所はすごく自由なの。学校での活動については
ほとんど全て生徒の自主性に任せてるっていうのかな。勉強に打ち込むのも自由。部活に入って
その道のプロになれるくらい頑張るのも自由。帰宅部で毎日のんびりとしているのも自由なんだ
けどね。同じ時間しかないなら、一生懸命頑張っている生徒を学校を挙げてバックアップしよう
っていうのが、校長先生の教育理念なんだって」
『へぇ、楓子、よくそんな教育理念なんてモノまで覚えてるね』
「ううん、今作ったの」
『アナタって子は……』
そうこうする間に、ようやく校門までたどり着いた。門の向こうに悠然と構えて立つ校舎。振り返れば
ひびきの市が一望できる。駅の向こうにあるはずの以前住んでいた楓子の家は、今日は霞んでいて見えない。
ほんの数ヶ月前までは、毎日この景色を見ていたはずなのに、懐かしさが楓子の心を満たしていた。
(ちょっだけ卒業生になった気分…)
ふと、心の奥が熱くなった。
そして、それは次第に心の中で大きくなっていき、突然目の前の風景が歪んだ。
(…!そうか、私……そうだったんだ)
楓子は、椛に悟られまいと俯きながら目頭を抑えた。
『どうしたの、楓子?』
「ううん、なんでもない。ちょっと目にゴミが入っただけ」
『あ、そ』
そっけない返事をした椛ではあったが、先程から横目でその様子をうかがっていた事に、楓子は
気付いていない。椛は、何もなかったようにパンフレットに目を移すと、わざと明るい声で話し掛けた。
『あ、4時から後夜祭か。この時間なら人目につかなくてイイかもね。ねぇ、楓子。ここからは、二人
別行動にしよう。それで4時にこの校門のところで待ち合わせ、イイ?』
「私は構わないけど、あんまり目立つようなことしないでね」
『了解』
二人はそこで別れると、椛は嬉々として校舎の中へと消えていった。
一方、楓子はしばらく動くこともできず、俯きながら立ち尽くすだけであったが、ゆっくり顔を上げると
意を決して校門をくぐっていった。
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第2部 完 >