「え?」
野球部の練習も終わった夕暮れの帰り道。
ちょっと会話が途切れた後に、彼が思い出したように言った。
「う〜ん、だってさぁ・・・女の子で野球が好き、って子、余りいないだろ?」
「そう・・・、カナ?」
「うん」
・・・そうかもしれない。
友達にも、確かに野球に詳しい子って少ない。
「あ、もちろん変だとか、おかしいとかじゃなくて・・・な、なんとなく、ちょっと疑問に思っただけなんだけど」
「ふふ、分かってる」
彼の焦った様子がおかしくて、楓子は肩を揺らした。
そして朱に染まった空を見上げる。
「野球、かぁ・・・。あのね、わたしが野球を好きになったのはね・・・・・・」
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7 YEARS AGO...
Written by Masashi Hiiragi
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<1993年、冬>
身を切るような寒さも、子供達のパワーの前では無力だった。
河原に作られた小さな公園・・・と言うか、何もない空き地・・・には、元気な子供達の歓声が満ちている。
10歳前後の男の子・女の子が、その歓声の主だった。
一緒になって駆け回るギリギリの時期の子供達は、地面に歪んだ線を引き、ビニールのバットとボールを振り回している。
近所の少年野球チームが古くなったベースを提供してくれたこともあって、そこで開かれる遊びは大抵野球だった。
もちろん、厳密なルールなどない、野球遊びに過ぎないが。
朱に染まりつつある空の下、子供達は夢中になってボールを追いかけている。
そして・・・そんな彼ら・彼女らを見詰める、小さな背中が土手の上にあった。
「・・・良いな、みんな。楽しそう・・・」
土手に腰を下ろして膝を抱えながら、その女の子はぽつりと呟いた。
胸には今眼下で遊んでいる子達と同じ、近所の小学校の児童であることを示す名札がピンで留められている。
『3年3組 佐倉楓子』
女の子らしい可愛い文字で、そう書かれている。
そしてその文字に相応しい可愛らしい顔は、どこか寂しげで。
大き目の目は、じっと走り回る子供達に据えられていた。
楓子はつい3ヶ月ほど前に、親の仕事の都合でこの街に越して来たばかりだった。
だからまだ、仲の良い友達は少ない。いや、いないと言っても良い。
少し引込み思案な楓子は、元々友達を作るのが苦手だった。
だからこうして・・・羨ましげにみんなの様子を眺めてはいても、声をかける勇気が出せないでいた。
この時期は日が傾き始めると、急に寒くなってくる。
楓子は吹き抜けて行った風にちょっと肩を震わせた。
・・・もう、帰ろうかな・・・。
楓子が今日もまた声を掛けるのを諦めて、立ち上がろうとした時だった。
ふっと、急に視界が暗くなる。
なんだろう、と思って後ろを振り返ると、男の子がまじまじと楓子を見詰めていた。
「やっぱり! この間転校して来た佐倉だ!」
楓子が驚くより早く、その男の子はにこりと笑みを浮かべた。
「え・・・、うん・・・」
「そうじゃないかな〜って思ったんだ。こんなところで何してるの? あ、もしかして野球好きなの?」
誰だろう、と思ってる内に男の子は楓子の横に足を投げ出して座る。
「たまに今日みたいにここから見てたよね? 野球、好きなんだ?」
「え・・・と・・・。う、うん・・・」
本当は野球なんて知らなかったけど、首を振るのは男の子の笑みに対して悪いような気がした。
「やっぱり! なんだ〜、だったら一緒にやれば良いのに。なんでいつも見てるだけなの?」
「だって・・・友達、いないモン・・・」
「そうなの? でもホラ、ぼくとは友達なんだし、気にしなくて大丈夫だよ」
「え・・・?」
「ほら、行こうよ!」
男の子はぴょんと立ち上がると、楓子の手を引っ張った。
つんのめるようにして立ち上がった楓子は、そこで初めて男の子の胸に留められた名札に気付く。
『3年3組』
名前のところは掠れて読めなかったけど、男の子は同じクラスだった。
・・・同じクラス・・・だから、友達・・・? 友達にして、くれるの・・・?
そう尋ねるのも、なんだかその男の子に悪いような気がして、楓子は黙って男の子の後を追った。
「お〜い、ピンチヒッター!」
男の子がぶんぶんと手を振りながら言うと、バッターボックスに向かっていた男の子が手を振って応える。
「サンキュー。・・・はい、佐倉」
次のバッターだった男の子からバットを渡されたその男の子は、楓子にバットを手渡した。
「なんだよ、お前じゃないのか?」
「うるさいな〜、どうせお前じゃ打てないだろ。佐倉の方がまだ可能性はあるよ」
口を尖らせる相手をシッシッと手を振って遠ざけ、男の子は楓子に笑みを向ける。
「絶対見てるよりやった方が楽しいって!」
「で、でも・・・わたし、打てないよぉ〜」
「大丈夫大丈夫、ボールに向かってくつもりで思いっきり振れば良いんだよ。持ち方は分かるよね?」
「う、うん・・・分かる、けど・・・」
「十分十分。そんじゃお待たせ〜!」
男の子は楓子をバッターボックスに押し込むと、相手ピッチャーに手を振った。
楓子が何か言うより早く、ピッチャーが「行くぞ〜!」と声を出す。
もう今更「本当は野球なんて知らない」と言っても遅い・・・と言うか、そう言う暇もない。
とにかく楓子は今まで眺めていた光景を思い出して、バットを構えた。
「うんと・・・ボールに向かってくつもりで、思いっきり振るんだよね?」
男の子のアドバイスを思い出して・・・小さな弧を描いて飛んで来たボールに、思いっきりバットを振った。
ばこん!
思ったよりも軽い衝撃。
そしてボールは大きな弧を描いて右方向へ飛んで行く。
「あ、当たっちゃった・・・の?」
信じられない思いでバットを見る楓子に、攻撃側から声がかかる。
「走れ〜、佐倉ぁ〜!」
あ・・・、と、今まで眺めて来た光景を思い出して、楓子はバットを置いて走る。
余り走るのは・・・と言うか、運動は・・・得意じゃない。けど、全力で走った。
一塁を踏んだところで、ボールがようやく内野に向けて投げられる。
その間にランナーが一人ホームを踏んで、歓声が上がった。
歓声の真ん中では、さっきの男の子が手を叩いて喜んでいる。
振り向くと同時に、吸い付けられるようにその男の子を見付け、楓子はにっこりと笑みを浮かべた。
* * *
翌日から楓子の姿は土手の上ではなく、その下の子供達の輪の中に加わった。
時々バッターボックスに立ったりもするが、大抵は応援役に回っていた。
最初は偶然ヒットが打てたが、元々そんなに運動は得意な方ではない。
それに・・・楓子は自分でプレイするよりも、横で見て、応援している方が楽しかった。
自分をこの中に引っ張ってきてくれた名前の分からない同じクラスの男の子。
彼は子供達の中で一番上手だった。そのプレイを見ているのが楽しくて、そしてドキドキした。
声を出して応援するのは恥ずかしくて出来なかったが、視線は絶えずその男の子を追っていた。
「・・・あのね、ちょっと聞いても良い、カナ?」
一月ほど経った頃、暗くなり始めた帰路を歩きながら、楓子は隣を歩く男の子に聞いた。
「なに?」
「うん・・・あの、ね。どうしてあの時、わたしに声、かけてくれたの?」
楓子の問いに男の子は目を瞬いて・・・そしてにこりと笑った。
「だって、同じクラスだもん」
「・・・それだけ?」
「う〜ん。後はさぁ、ぼくも去年引っ越してきてさ、中々友達出来なかったから。佐倉もそうかな〜って思ったし」
「え・・・そう、なの?」
「うん。去年の春にね、この街に引っ越して来たんだ」
「ふ〜ん・・・」
「隣にね、光ちゃんて子がいてさ、いつも遊んでたんだ」
「そう、なんだ・・・」
楽しそうに話す男の子に、なぜだかキュッと胸が潰れるような感じがした。
「それでね、光ちゃんって凄い泣き虫でね・・・」
男の子は楓子の様子に気付かずに、話し続けた。
その話を聞きながら・・・楓子はいつものように握っていた男の子の手を、強く握っていた。
* * *
<1993年、春>
3年生の終わり、4年生への進級を間近に控えて、楓子はまた引っ越すことになった。
「・・・佐倉、泣いてるの?」
「だって・・・だって・・・」
見送りに来てくれた男の子に、楓子は繰り返ししゃくりあげた。
「駄目だよ。お姉ちゃんが言ってたよ。あんまり泣いてばかりいると、病気になっちゃうって」
「・・・なっても、良いモン・・・」
「それに、女の子は笑ってる方が良いんだって。ぼくもそう思うし」
「・・・ホント?」
「うん」
男の子が頷くと、楓子はごしごしと目を擦った。
「じゃあ・・・泣かない・・・」
「・・・でも泣いてるよ?」
「・・・泣いてないモン!」
キュッと口を結んで、楓子は首を振った。
・・・そこに、親から声がかかる。
「・・・あ、もう行かなくちゃ、佐倉」
「うん・・・。・・・ねぇ、野球、続けるよね? プロ野球の選手に、なるんだよね?」
「うん、そうだよ!」
「じゃあ・・・じゃあ、わたしも続ける! そうすれば、きっとまた会えるよね!?」
「うん、そうだね!」
「絶対だよ、約束だよ!」
「うん、分かった。約束だね!」
男の子が頷いたところで、楓子は車に連れて行かれてしまった。
車の後部座席から、手を振る男の子を涙を堪えつつ見詰めて。
楓子はもう一度、言った。
「約束・・・だよ・・・」
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「・・・そっか、じゃあ楓子ちゃんはその約束を守ってるんだ」
「そういうわけじゃないけど、でもね、それがきっかけで野球が好きになって、ず〜っと続けてるの。今はマネージャーだけ
ど、ね」
「そっか・・・それが楓子ちゃんの初恋、なんだ」
「え・・・、ええ? そんな・・・そんなんじゃないよ〜!」
「そうかな〜、やっぱり初恋だよ。あ〜、その男の子が羨ましいなぁ。絶対さぁ、楓子ちゃんが可愛いから声掛けたんだよ、
その男の子は」
ちぇ、と笑いながら言う彼に、楓子は「もう!」とそっぽを向いた。
「あ、ゴメンゴメン。怒った・・・?」
「知らないモン! べーっ、だ!」
楓子は彼に向かって舌を出して・・・そして、クスッと吹き出した。
それを見て、彼も笑みを漏らす。
暮れ行く空の下、二人は肩を並べながら歩いて行った。
7年前のあの頃の、楓子と男の子の二人のように・・・。
>7 YEARS AGO...:おしまい<
あ〜、勝手に楓子ちゃんの過去を捏造してしまいました。もはや犯罪者とも言うべき柊雅史です。
一応ね、他の子と同じように楓子ちゃんだって幼年期に会ってるんだい! って嫉妬心(?)から作ったSSです。
現在書いて、未来も書いたから、過去も書かねばって義務感も、ちょっとだけあり。
ちょっと強引&こじ付け、多数あり。ははは・・・笑って誤魔化せ。
まぁ念のため付け加えるなら「彼=楓子ちゃんの初恋の相手」であります。
書いてる途中に浮かんだ一言。
「気付けよ、主人公&楓子ちゃん。光が出てくるやん。忘れるなよ、主人公。もったいない・・・」
書き終わって自分を慰めた一言。
「光なんて名前、珍しくないやい! 7年前なんて大昔だい! 二人とも引っ越し多かったんだよ、きっと!」
・・・最近自分を誤魔化すのが上手くなったなぁ・・・スれたんだろうな、自分・・・。
こんな話書いておいてあれですけど、多分今後も全然違う設定で楓子ちゃんの過去とか書く可能性・大。
その時は笑って許すと吉。指摘して怒ると大凶。
あくまでこれは読み切り短編なのであ〜る。
以上、最近脳内アンテナが壊れ気味で、毒電波受信しまくりな柊雅史でした☆