僅かに緊張を滲ませた面持ちで、彼は監督に促されて一歩前に出た。

「・・・1年G組、綾野武人です! 野球経験はほとんどありませんが、よろしくお願いします!」

ペコリ、と頭を下げる綾野を、パチパチと拍手が迎えてくれる。

顔を上げてみると、やっぱり楓子を中心に、この間の練習試合で顔を合わせたメンバーが、手を叩いていた。

東風高校遠征組の中にも、ちらほらと好意的な顔が見える。まぁ多少、白け気味の表情が見えるのは仕方のないことか。

自由なひびきの高校であっても、そこに通う生徒は単一ではあり得ないのだから。

「・・・さて、これで綾野を加えて1年は14人になったわけだな。みんな、うちの野球部は完全な実力主義だ。上級生でも下級生でも、使える奴は使い、使えない奴は使わない。それを忘れずに精進しろよ!」

「うっす!」

監督の叱咤激励に部員達は力強く頷く。
 
 

6月の風が薫る中。

ひびきの高校野球部の部員達は、新たな新人を加えて「甲子園」という夢に向かって戦い始めた。

そして甲子園の夢が儚くも散り、新たな世代に夢のバトンが引き継がれた時。

季節は既に、夏の盛りを迎えていた。
 
 
 

  ********************************************

                 <勇気の神様B>
   熱中するもの、見付かりましたか?

             書き人:柊雅史

  ********************************************
 
 

 ジィーウ、ジィーウ、ジィーウ、ジィーウ・・・

アスファルトの照り返しに空気が歪む。蝉の声も五月蝿いくらい。今日もまた、30度を越える暑い一日になるだろう。

早くもじっとりと汗を掻き始めた綾野は、先週の日曜日に行った海を思い出して溜息を吐く。

「はぁ・・・、泳ぎてぇ・・・。なんでまた、野球ってのは夏のくそ暑い時にやらなきゃならないんだ・・・?」

海は気持ち良かったし、楽しかった。一緒に行ったのが佐倉さんだったということもある。と言うか、むしろそっちが重要だ。

やっぱり海は女の子と一緒じゃないとな〜と、ちょっぴり鼻の下の伸びる綾野だった。彼は非常に健康的な高校生である。

「おーい、武人くーん!」

綾野が暑さのせいでまとまらない思考を漂っていると、妙にハイテンションな感じの声が聞こえて来た。

「・・・おっす、光!」

綾野はこちらに駆けてくる光を認めて手を軽く挙げた。光は綾野の元までやって来ると、「暑さ」だとか「真夏日」だとかとは無縁に思える、爽やかな笑みを浮かべた。

「おはよう、武人くん! 武人くんも今日、練習なんだ?」

「ああ、まぁな。この時期が野球のシーズンだからなぁ・・・。くそ暑ち〜」

「あはは、武人くん、根性ないな〜。あたしはこの暑さ、なんか好きだよ?」

「ああ、お前って昔からそうだったよな・・・」

「うん! 夏といえば太陽! 太陽といえば海! あ、ねぇねぇ、今度一緒に海に行こうよぉ〜!」

「ああ、良いぜ。・・・確か来週頭から合宿で、その後は練習日だから・・・、その後で良いか?」

「うん、了解了解! えへへ、うっれしいなぁ〜!」

光はぴょんと飛び跳ねるような勢いで、全身で喜びを表現する。

こいつも変わらねぇな〜と思いつつ、綾野は苦笑した。

「絶対絶対、忘れちゃ嫌だからね? 約束だよ!?」

「はいはい・・・っと、あれ、佐倉さんじゃん?」

ハイテンションな光を慣れた手付きであしらっていた綾野は、前方を歩く見慣れたおかっぱ頭を見付けた。

「・・・おーい、佐倉さーん!」

綾野が声をかけると、楓子が足を止めて振り返る。綾野は軽く手を振りながら、足を速めた。

「・・・あ・・・」

光がちょっと顔を曇らせ、それから軽く首を振って綾野の後を追う。

「・・・おはよう、佐倉さん!」

「うん、おはよう、綾野さん」

にこっと笑う楓子だが、どうも表情を見る限り、綾野と同じく暑さに辟易している様子だった。

「おはよう、楓子ちゃん!」

「あ、おはようございます、光さん」

「あはは、そんな、もっと気楽に話し掛けて良いよ〜」

「そうそう、こんな奴に敬語はもったいない」

「ぶー、なによそれぇ?」

光が綾野を睨み付ける。もっとも、顔は笑っていたが。

そんな二人のやり取りを見て、楓子はくすくすと笑いを零す。やっぱり良いカンジだなって、いつもこの二人を見ると思う。

「あ、そうそう! 楓子ちゃん、野球部って来週、合宿なの?」

「うん、そうだよ。えっとね、学校の合宿所に行くことになってるの」

「え、ホント!? あたし達もそこだよ? じゃあ、同じ場所なんだ!」

「なんだよ、陸上部も来週なのか、合宿?」

「うん! もしかしたら向こうで会えるかもね? えっへへ〜、たっのしみだな〜!」

「なにがそんなに楽しみなんだよ? あぁ〜、俺は嫌だぁ〜。野球するのは良いけど、この暑さ・・・気が滅入るよ・・・」

「ふふふ、大丈夫だよ、綾野さん。合宿所は山の上にあるから、ちょっとは涼しいんだって」

「あ、そうなの? だったら宿題でも持っていくかなぁ。涼しいところでやった方がはかどりそうだし?」

「無理無理。武人くん、涼し〜い図書館でも、やらないじゃない? ず〜っとマンガ読んでたもんね〜」

「う・・・、いつの話だよ・・・」

顔をしかめる綾野に、二人の少女は揃って笑い声を上げる。

ひびきの高校野球部・陸上部恒例の夏合宿は、3日後に迫っていた。
 
 
 

そして物語の進行上、3日はあっという間に過ぎた。

朝のまだ暑さが本格的になっていない頃、綾野はスポーツバッグを肩に家を出る。

「んじゃ、行ってくるわ!」

一声かけて軽快な足取りで歩き出す。暑いのは苦手だし、その中で野球をするとなると多少気が滅入ることも事実だが、合宿所に1週間泊まるというイベントへの期待の方が、綾野にとっては大きい。

「・・・綾野さーん!」

と、集合場所であるひびきの高校が見えて来た辺りで、綾野は自分を呼ぶ元気な声を耳にした。

毎朝この辺りで彼を呼び止めるのは光だが、彼女は自分をこうは呼ばない。それに陸上部の出発は、野球部より2時間遅れだ。

「おはよう、佐倉さん」

「うん、おはよう! 良い天気だよね? 絶好の合宿日和、って感じだね!」

綾野に追いついた楓子はにっこり笑って言う。彼女もどこかうきうきしているように、綾野の目には映った。

「良い天気は良いけど・・・、余り暑いのはなぁ・・・」

「駄目だよ、綾野さん。甲子園はもっともっと暑いんだから!」

楓子が上目遣いで睨むようにして言う。大きな目の彼女には、こーゆう表情が良く似合うと、綾野は思った。

おっちょこちょいなところもあるけれど、確固とした自分の意志・・・やりたいこととか・・・を持っている楓子。

幼い仕草や表情とは裏腹に、そういう芯の強さが見え隠れする、微妙なアンバランスが彼女の魅力だな、と思う。

・・・ちょっと光に似ているかな、とも思う。光の方が積極的で活発であけっぴろげだが、どこか似通った部分もあるような気がする。

だからなんとなく、話やすいのかもしれない。

「・・・今年は県予選で負けちゃったけど、来年こそは絶対絶対甲子園出場だよ? 先輩達も頑張っているし、1年生もどんどん上手くなってるもんね! わたしね、来年は行けると思うんだ!」

「う〜ん、だと良いけどなぁ・・・。ま、俺の場合はまず、ベンチ入りを目指さないとね」

本格的に野球を始めて僅か3ヶ月にも満たない綾野は、ようやくバッティング練習や守備練習に入れてもらえるようになったくらいだ。

甲子園は愚か、レギュラーも、ベンチ入りもまだまだ遠い目標である。

「大丈夫大丈夫! だって綾野さん、基礎的な筋力とかはちゃんとあるし、最近すっごく上手になってるもん! この合宿で頑張れば、レギュラーだって狙えると思うよ?」

ぶんぶんと拳を振って力説する楓子に、綾野は笑みを浮かべた。

社交辞令とか慰めとかじゃなくて、本当にそうと信じていると分かる口調。

そしてそれを分かってもらいたいと、必死になっている姿を見ると、なんとなく信じたい気持ちになってくる。

あるいは、彼女の言葉を実現させてあげたいという気持ちが湧いてくる。

きっと、今よりももっと嬉しそうな表情が見れると思うから。

そう思わせる雰囲気が、楓子にはあった。

だからこそ、県内屈指の「弱小チーム」であるひびきの高校野球部が、楓子を中心に本気で「甲子園」を目指していられるのだろう。

「よーし、それじゃあいっちょ気合い入れて、頑張ってみるかな!」

「うん、その意気だよ! あ、でもね、頑張り過ぎて怪我とかには、気をつけてね?」

「了解、了解。・・・ああ、でも、なんかやる気が出て来たな〜」

「くすくす、頑張ってね、綾野さん!」

ひびきの高校へ続く坂道を、二人は並んで登っていった。
 
 

          ☆     ☆     ☆
 
 

ひびきの高校御用達の合宿所は、バスで2時間ばかり走った山間部にある。三棟の宿泊施設に、各種練習グラウンド、そして文化部用の特殊私設・・・パソコンルームとか小さな劇場とか・・・よくぞここまで揃ったと、感心してしまう充実振りだ。

案外あの校長先生は大物なのかもしれない・・・と、大抵の新入生はここに来て実感するそうだ。普段の言動からして、大物みたいだが。

それはともかく・・・合宿所に到着した野球部は1時間ばかりの休憩の後、早速グラウンドに出て練習を行うことになった。

時刻は9時過ぎ・・・そろそろ暑さに外へ出ることさえ億劫になる時間だが、合宿所の辺りは木々に囲まれていることもあってか、それほどの暑さは感じない。

現在、野球部は1年生14人(+男子マネージャー一人+女子マネージャー一人)と2年生12人(+男子マネージャー二人+女子マネージャー一人)である。故に1年生のほとんどは補欠組で、つい2ヶ月前に入部した綾野は、言うまでもなく補欠組だった。

「・・・はぁ、合宿所まで来て球拾いかぁ・・・」

現在は守備練習中。レギュラー9人と各ポジションの控え9人以外・・・言ってみれば補欠以下、の綾野他数名は、外野の更に外側で球拾い役を仰せつかっていた。

午後の打撃練習でも、打者数人と守備に9人+交代要員、投手数名が練習に加わるだけ。言うまでもなく、綾野はそっちも球拾いだ。

「・・・結構、期待してたんだけどなぁ・・・。さすがに球拾いだけじゃ、熱中できんぞ・・・」

「・・・だーめだよ、綾野さん! そんなこと言っちゃ!」

ぼやいていた綾野に、ちょっと笑いを混じらせた声が掛けられる。振り返ってみると例の如く、楓子がにこにこ笑って立っていた。

半ば楓子が入部させたような恰好になったからか、あるいは入部したての綾野をフォローしようとしているのか・・・実際は練習中、単に彼女も球拾いが主な仕事だからだろうが・・・大抵こういう場面で声を掛けてくれるのは楓子である。

暇を持て余していた綾野にはあり難いことこの上ない。

「あっと・・・・・・、聞こえちゃった?」

「バッチリ、聞こえちゃったよ。・・・もう、球拾いばかりで退屈なのも分かるけど、球拾いだって大切な練習なんだよ?」

「そういうもん・・・?」

「うん。例えばさ、綾野さんはどのポジションに入りたいと思ってる?」

「俺? うーん、どうなんだろう・・・? よく分からないけど・・・?」

「それじゃ、綾野さんは瞬発力もあるし、結構守備のセンスもあると思うし、肩も強いから・・・じゃあ、未来のサードだとするよ? 守備ってね、ボールを捕るとか、それだけじゃないよね?」

「・・・ええと、フォローポジションを取るとか・・・?」

「うんうん、そうそう! 今、サードの山岸先輩は、ちょっと前目に構えてるよね? なんでだと思う?」

「う〜ん・・・、送りバントを警戒してるから?」

「うん! そうやって、守備練習してる人は、色々な場面を想定しているの。ねぇ、それってこうやって後ろから見ているとよく分かるよね? 綾野さんはまだまだ野球に関しては初心者、だよね? そういう動きのこと、よく分からないでしょう?」

「うん・・・、まぁ、ね・・・」

「きっとね、監督は綾野さんに、みんなの動きを見せるために、今は後ろから全体を見せているんだよ? だからボール拾いだからって、気を抜いちゃ駄目なんだから・・・、ね?」

「なるほどー、そっか。・・・さすがだねぇ、佐倉さん」

「えへへ、そう? でもね、これって先輩が前に、やっぱり球拾いしていた選手に言っていたことの受け売りなの。でも、そうやって考えながら練習をしていけば、球拾いだってなんだって、立派な練習でしょ?」

「うん・・・そっか。そうかもね・・・」

「わたしもね、ほら、練習に参加は出来ないでしょう? だから色々想像してるんだよ? 自分が守備に入ったつもりになって。それにわたしってあんまり運動とか、得意じゃないでしょ? でもね、想像の中なら一流プレイヤーになれるんだもん。面白いよ?」

「想像なら一流プレイヤーかぁ・・・」

「うん! でも綾野さんなら、きっといつか、想像よりも凄い選手になれるよ? だからね、今の内にどんどん良いイメージを描いておくの。きっといつか役に立つと思うよ?」

そう言ってにっこり笑う楓子に、綾野はしばし見とれるような気持ちになった。

本当に・・・彼女はどこまでも前向きな性格だと思った。

何を見ても、何をやっても、前向きに捉えて糧にしようとする姿勢。それが自然に出来ている。

自分とは雲泥の差だな、と綾野は自嘲気味に思う。自分はいつだって受け身だ。彼女に会わなければ、今でもきっと、ただ熱中できる物が現れるのを待っていただろう。・・・いや、あるいは既に諦めていたかもしれない。

彼女のように、あるいは光のように、前向きに考えていこうと決めた綾野だが・・・やっぱりまだまだだな、と思った。

自分はきっとまだ、こんな風に綺麗な笑みは浮かべられない。

「・・・それにね」

綾野の視線には気付かず、楓子は野手達を見ながら続ける。

「イメージって、自分が理想とする動きでしょ? だからそれが描けると、自分に足らない物も見えてくると思うよ?」

「うん・・・・・・、自分に足らない物、か・・・」

反芻して、綾野はちょっと考えた。

自分に足らない物・・・多すぎて困るくらいだが・・・一応、綾野は足の速さには自信がある。運動神経もまぁ、人並みにはあるつもりだし、光が言うには人並み以上らしい。

・・・・・・結局なぁ、技術が足りないんだよな・・・・・・。

考えるまでもなく思い浮かぶ結論である。

守備で言えば、飛んで来たボールに反応はする。けれど、ボールがグラブに入らない。打撃であれば、前にボールが飛べば、他人ならアウトの打球でも足の速さでカバーできる。けれど、まずバットにボールが当たらない。

結局は、基礎的な技術が決定的に足らないのだ。

「・・・・・・見付かった?」

「へ?」

ちょっと考えていた綾野は、一瞬楓子の問い掛けの意味が分からなかった。

「足りないもの。・・・一週間、あるんだもん。綾野さんなら、絶対絶対、手に入れられると思うよ?」

うん! と力強く頷く楓子に、綾野はちょっと笑みを浮かべた。

「・・・そうだね・・・、うん。頑張ってみようかな・・・」

「うんうん! その意気、だよ?」

楓子の嬉しそうな笑みに、綾野はなんとなく照れくさい思いを感じて、視線をグラウンドの方へ向けた。
 
 
 

「よ〜し、今日の練習は上がるぞー!」

と、監督の声が響いたのは、まだ日も高い5時頃だった。

「え・・・、もう??」

相も変わらず球拾い・・・とイメージトレーニング・・・に勤しんでいた綾野は、ちょっと拍子抜けした思いで引き揚げて行く守備組を見詰める。

「・・・おう、綾野、なにボーっとしてんだ?」

と、同じく球拾い組の2年生が声をかけてくる。

「あ、先輩・・・。いや、もう終わりなんですか? まだ全然、明るいのに・・・?」

「なんだ、日が沈むまでやると思ってたか?」

ははは、と笑ってその先輩が言う。

「うちの監督は結構理論派、っちゅーのかな。夏場に丸まる1週間、合宿をやるんだから、一日中ギッシリやっても非効率だって言うのさ。体が自由に動ける間、密度の高い練習をする。そうじゃないと、後半になるほど単に体を痛めつけるだけ、になるだろう?」

「はぁ・・・、なるほど・・・」

野球部と言えば根性物のセオリーだと思っていたが、ひびきの高校ではそうではないらしい。

5時頃には練習が終わり。その後、2軍以下の選手が片付けをし、7時頃から夕食になる。

また俺達が雑務か・・・と思った綾野だが、練習を終えたレギュラー達が宿に戻ると、綾野と一緒に球拾いをしていた先輩達が、各々素振りやキャッチボールなどを始める。中には数人で話し合い、守備練習を始める者もいた。

「ははぁ、なるほどね・・・」

5時には練習を切り上げる理由はここにもあったらしい。要は5時以降は、練習に参加していなかった補欠組の練習時間、なのだろう。

綾野が納得していると、楓子が「綾野さん!」と声をかけてくる。

「えへへ、お待ちどう様の、練習の時間だよ?」

「うん、そうみたいだね・・・。でもさぁ、結構補欠組には厳しいよな、あの監督。勝手に練習しろ、だなんて」

「うーん、そうかもしれないけど、でも、強制されるんじゃなくて、自分が必要とする練習が出来るんだもん。そっちの方が、特に初心者の人には良いんじゃないかなぁ? だって、好きな練習が出来るんだから、楽しいでしょう? 楽しみながら上手くなれるんだもん、ね?」

「まぁ・・・・、そういう考えもあるか、な・・・?」

楓子が言うと、どうもそんな感じがするから不思議だ。

「うん、わたしは絶対、そうだと思うな。・・・ねぇ、綾野さんはどうするの? 先輩の練習とか、混ざり難かったり、しない?」

「いや、そんなことはないけど・・・」

と、綾野は心配そうな表情の楓子に首を振る。どうやら今も声をかけてくれたのは、綾野と先輩達の間をとりもってくれようとしたらしい。

そういう、後から来た者への心遣いは、いかにもマネージャーらしいなと思った。

「でもさ、俺のレベルじゃ、まだまだ投手のボールを打ったり、守備に入ったりって早いと思うんだよね。まだまだ、バッティングのフォームも固まっていないし」

「う〜ん、それじゃあネットに向かってトスバッティング、かな?」

「そんな感じかな・・・」

「あ、じゃあ、わたしがボール上げてあげようか? そのくらいなら、わたしにも出来ると思うし」

「あ、ホント? それだと助かるけど。ほら、一人だとフォームのチェックも出来ないでしょ?」

「えぇ? でもわたしじゃ、全然アドバイスとか、出来ないと思うよ?」

「そんなことないよ。ほら、佐倉さんも色々想像しながら練習を見てるんでしょ? 俺より長くやってるんだから、きっと俺よりもちゃんとしたフォームを分かってると思うんだ」

「う、うん・・・。でも、あんまり自信、ないよ?」

「大丈夫だよ、佐倉さんなら」

「うん! じゃあ、わたしも頑張ってみるね?」

楓子がよし、と気合いを入れ、二人は揃ってトスバッティング用のネットの前に向かった。横手から補助者が軽くボールを上げ、それをネットに向かって打つ、という練習をやる場所である。

「・・・それでは佐倉先生、御教授願います」

綾野が軽口を叩くと、楓子はくすくす笑い、

「はい、それじゃあちゃんと聞いてて下さいね!」

と、一番軽いバットを手に取った。

「フォームの方は、綾野さんも分かるよね? ボールを打つ時はそれをちゃんとイメージしなくちゃ、駄目だよ? それでボールを良く見て・・・、綾野さんの場合、足が速いから、とにかく最初は転がして行った方が良いと思うの。ただ打つんじゃなくて、投手が投げたボールを手元まで引き込んで、そこからの動作を覚えるんだよ?」

「OK。・・・あ、佐倉さん、試しに一球、打ってみてよ」

「えぇ? わたしが打つの?」

「その方が分かり易いし。大丈夫、ふわりとしたボールだし」

「う、うん・・・。じゃあ、自信はないけど、やってみるね?」

楓子が頷き、ボックスに入る。「よーし!」と気合いを入れ、バットを構えた。心なしかわくわくしているように、頬を紅潮させている。

(やっぱり佐倉さん、野球が好きなんだな・・・)

キッと真面目な顔になる楓子に、綾野は羨ましいような気持ちになった。

「うん! 綾野さん、良いよ?」

「じゃあ・・・・・・はい!」

ふわり、と綾野がボールを投じると、楓子は軽く前足を引き・・・ボールを見詰めたまま、スムーズにバットを振り出した。

 すかっ! ・・・・・・てんてんてんてんてん・・・・・・。

美しいフォーム・・・正に教科書にのっているような・・・から繰り出されたバットは、ボールの一個分上方を通過し、空しい風切り音を響かせる。

「・・・・・・ぷっ!」

しばしの沈黙の後、綾野は堪えきれずに吹き出していた。

「い、いやぁ〜〜ん!」

楓子が耳まで真っ赤になって、バットを投げ出し、くつくつと笑っている綾野を睨む。

「もう・・・、綾野さん、笑い過ぎだよ!」

「あはは・・・、ご、ごめん! で、でも・・・あはは・・・!」

「ぶぅ! だからわたし、駄目だって言ったのにぃ〜! それなのに、綾野さん、ヒドイよ! 綾野さんの意地悪っ!」

「ご、ゴメン・・・いや、ホント。そ、その・・・・・・ぷ、ぷぷぷ・・・」

笑いの止まらない綾野に、楓子はしばし泣きそうな顔で怒っていたが・・・・自分も「ぷ!」と吹き出してしまう。

「くすくす・・・、で、でも、見事な空振り、だったよね。もう、わたしってホント、運動神経、駄目だよね・・・」

「あ、でも、フォームは綺麗だったと思うよ?」

「そうかな? わたしも時々、素振りとか混ぜてもらってるから・・・。でも、ふわりとしたボールでも、結構難しいんだね・・・」

「ボールが落ち始めちゃうと難しいのかも。・・・でもホントに、フォームは綺麗だったから。参考になったよ」

「う、うん。でも、空振りまでは参考にしないでね?」

「うん、もちろんだよ」

「うぅ〜、冗談だったのに!」

あっさり頷いてくれちゃった綾野に、楓子は口を尖らせる。

「もう! もし綾野さんが空振りしたら、わたしも笑っちゃうんだからね!」

「う〜ん、それは・・・空振りしないようにしないとなぁ・・・」

笑いながら二人は場所を交換し、今度は綾野がバッターボックスに入る。

「じゃあ、まずは素振りしてみて? ・・・うん、そんな感じで良いと思うよ!」

ようやく立場を入れ替えたところで、どうにか二人の笑いも収まり、本格的な練習が始まる。

「じゃあ、いくよ? ・・・・・・はい!」

ふわり、と楓子の投じたボールを、綾野はじっくりと見詰め・・・小さな弧の頂点付近で停止したところを、思い切り叩く。

 キンッ!

澄んだ音と共にボールがネットに突き刺さった。

「・・・どうかな?」

「うんうん、良い感じだよ!」

「・・・空振りもしなかったしね」

「もう! 綾野さんの意地悪!」

「あはは・・・、ゴメンゴメン。じゃあもう一球、頼むよ」

「うん。じゃあ、行くよ?」

楓子が再び投じたボールを、綾野が打つ。

楓子は一球一球、綾野のフォームをチェックし、自分の知っている知識を総動員してアドバイスをする。

時折休憩で楓子がバッターボックスに入ったりして、二人は空が朱から紫に変わる頃までバッティング練習を続けた。お陰で、楓子はほとんど空振りをしなくなったし、綾野の打撃音は、次第にミートした快音に変わり、打球も安定するようになっていった。

そろそろ片付け、と先輩に言われ、二人は練習を終える。カゴいっぱいのボールを何度打ったか分からないが、綾野は不思議と疲れを感じなかった。

(・・・佐倉さんと一緒で、楽しかったからかな、やっぱり・・・)

自分の現金さにちょっと苦笑する。あるいは単純に、無理のないフォームで打ち続けることが出来たから、だろうか。

いずれにしてもずっと練習に付き合ってくれた佐倉さんには感謝しなくてはならないなぁ・・・。

そう思って「ありがとう」と言った綾野に、楓子はにっこり笑って首を振った。

「ううん、わたしも楽しかったから。わたしの方こそ、ありがとう、だよ?」

本心から楓子はそう言った。

「綾野さん、見ててはっきり分かるくらいに、どんどん上手になってくから、わたしも一緒に練習してて、凄く楽しかった! 後は実際に投げたボールで練習して、もっとフォームを固めていこうね?」

「そうだね、やっぱり実際に打つとなると勝手が違うだろうしね・・・。あ、その時も色々アドバイスしてくれる?」

「うん! わたしで良かったらいくらでもしてあげるよ! わたしもね、綾野さんに負けないようにいっぱい練習したり、お勉強するからね! 一緒に頑張っていこうね!」

もう一度、にっこり笑う楓子に、綾野の心臓が一瞬トクン、と揺れた。
 
 
 
 

片付けを終え、補欠組もグラウンドを引き揚げていく。

流れ上、結局帰り道も一緒になった綾野と楓子は、練習のことを楽しく喋りあった。

今度はどういう練習をしよう、こういうところには気をつけた方が良いよ・・・。

普段とは違って積極的に話し掛ける楓子は、ずっと嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。

・・・・・・今ならちょっとだけ、その気持ちが分かるような気がする。

・・・・・・今ならちょっとだけ、彼女と同じ笑みを浮かべられるような気がする。

「・・・・・・ねぇ、綾野さん?」

合宿所が見えて来た頃、楓子がふと思い出したように尋ねた。

「野球って、面白い?」

「え? ・・・うん、面白いよ」

「そっか、良かった! えへへ、なんかわたしが無理矢理誘っちゃったみたいだったもんね」

「いや、そんなことはないよ」

「そう? ・・・ねぇ、綾野さん? じゃあさ、野球は・・・どうかな? 綾野さんにとって・・・・・・」

「俺にとって・・・なに?」

ちょっと困ったような顔になった楓子に、聞き返す。

「うん・・・えっと、上手く表現できないけれど・・・・・・、熱中できるって言うか、打ち込めるって言うか・・・そう! 輝ける場所、かな? そんな風になれそう、かな?」

僅かに不安そうな色を浮かべる楓子に、綾野は楓子と初めて会った時のことを思い浮かべた。

ただなんとなく、自分が輝ける場所を探していたあの頃。

野球、というスポーツが、あの頃抱いていたイメージと同じとは、まだ言えないと思う。

・・・けれど。

少しずつ、少しずつ、白球を追い、白球を打つ、ということに、没頭し始めている自分を感じる。

多分、一人では無理だっただろうけれど。

楓子に導かれるように、前に進んでいるような気がする。

・・・だから。

「・・・まだ分からないけど・・・でも、野球って、面白いと思うよ、本当に・・・」

そう答えた綾野に、楓子はちょっとだけ安心したような顔になった。
 
 
 
 

暑い夏。

熱い夏の合宿は、初日を無事に終えた。
 
 
 
 

 >つづく<
 
 
 
 


*あとがきのようなもの*

お待たせしましたが(待ってた人がいたら、ですが・・・)、勇気の神様Bをお届けします。
今回は夏合宿のお話です。ちょっとずつ野球と、そして楓子に惹かれつつある綾野さん。さて、合宿が終わる頃にはどうなるでしょ?
と、煽り文句をつけると分かるように、完全に楓子(ヒロイン)を食ってしまった感のある綾野さん(助演男優)ですが。
まぁ、1年目の夏ってのはそんな感じです。ゲームでも。
そう思って目をつむりなさい!(いや、つむって、お願ひ・・・)

本来なら合宿の終わりまでをお届けする予定だったBですが、なぜか初日しか終わってません。
前回の次回予告からも、思いっきり外れています(笑)。なのでもう、予告篇はしません。反省してます。
楓子ちゃんがさぁ、語るんだもん。野球のこと、熱心に。
無下に削れないじゃない、楓子ちゃんのセリフ。なもんで、合宿編はCに続きます。
続かなくちゃさ、光の立場がないじゃない。冒頭、あれだけ意味深に登場しておいて(笑)。
そんなわけで全13話以上になりそうな、あるいは全12話のままという、物理的奇跡が起きそうな、5分5分っぽい感じの今日このごろ。
皆さん、いかがお過ごしですか?(意味不明)

それでは合宿編後編、勇気の神様C「夏の思い出、作りませんか?」にて。

作者:柊雅史


ときめきメモリアル2はコナミ・KCETの作品です。
感想・文句・指摘等はmasashix@d1.dion.ne.jpまで。


日記indexに戻る。