夏の足音と緑の薫りを運んで来た風が、懸命に荷物を運ぶ少女の額を優しく撫でた。

「うんしょ、うんしょ!」

ふっくらとした頬を赤く染めた少女の手には、洗い立ての洗濯物が山のように積まれている。

ひびきの市にあるひびきの高校は、小さな山の山腹に建てられている。今少女が汗を流しつつ懸命に歩を進めているのはその裏手、部室棟が並ぶ辺り。

そこには部活動の活発なひびきの高校には欠かせない物・・・物干し竿がズラリと並んでいた。

「よい・・・しょっと!」

ドン、と手に持った洗濯物の篭を地面に置き、少女はふぅと額の汗を拭う。

物干し場の周りには、緑が豊かに萌えている。少女はコンクリートの地面に腰を下ろしながら、風にざわめく木々を見上げた。

「はぁ〜、重かったぁ! でも、良い風〜。気持ち良いぃ〜」

少女はゆったりと目を閉じて、しばしの休息を味わっていた。

そんな少女の特徴的に跳ねた前髪を風が優しく弄ぶ。

少しだけふっくらとした頬、少々垂れ気味ながら形の良い眉、長い睫毛と小さな唇。

そしてトレーナーに包まれた可憐な手足を包み込んでから、風は静かに流れて行った。

「・・・ふぅ・・・頑張って洗濯、続けなくちゃだよね。明後日は練習試合だモン、わたしも頑張らなくちゃ!」

少女は立ち上がって、うん、と自分に気合いを入れる。

そして山ほどの洗濯物の中から、苦労して一枚の上着を取り出した。

『HIBIKINO』の文字と、背番号。

そして少女の胸には野球部の所属を示す校章と、名前が刺繍されている。

少女の名は『佐倉楓子』。野球部のマネージャーだった。
 
 
 

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                 <勇気の神様@>
     あなたのお名前、なんですか?

             書き人:柊雅史

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物干し竿には楓子の手で干されたユニフォームが並んでいた。

純白のユニフォームが25枚、初夏の風に揺れているのは中々壮観な眺めである。

厚い生地で作られているユニフォームだから、洗濯して水に濡れた状態ではかなりの重量になるだろう。

それを一人で運び、干して行くのはかなりの重労働だっただろうが、楓子の顔には満足げな笑みだけが浮かんでいた。

「えへへ、やっぱり最初の練習試合だモン、綺麗なユニフォームで頑張って欲しいよね!」

それに・・・と、心の中で楓子は付け加える。

自分にはこのくらいしか出来ないけど・・・でも、同じ野球部の部員だモン、一緒に戦いたいよね・・・。

ボールを追ってバットを振ることは出来ないけれど、みんなが自分の洗った綺麗なユニフォームでグラウンドを駆けてくれれば、自分もそこに一緒にいるような気がする。

それは女の子として生まれて来た自分にとっては、多分最高に幸せで、嬉しいことだ。

ひびきの高校の野球部はかなり古い歴史と伝統を持つ部活だ。だが明後日の日曜日に開かれる練習試合は、新入生を迎えた新しいチームにとって初めての試合になる。

厳しい練習に耐え、毎日のように泥だらけになっている部員達を思うと、やっぱり頑張って欲しいと楓子は思う。

勝敗はともかくとして・・・もちろん勝ってくれれば喜びも大きいが・・・全力で、胸を張ってプレイしてもらいたい。

そんな思いから、楓子は風に揺れるユニフォームを一つ一つチェックして行った。

綻びはないか、汚れは残っていないか・・・。

一通りチェックを終え、明日の仕事は裁縫だと確認した。編物が趣味の楓子だから、それほど苦痛ではない。

(でも、一日で終わるかなぁ・・・。わたしって、ちょっとのんびりしてるし・・・)

のんびりというか鈍くさいというか・・・と、楓子は溜息を吐いた。嫌なことだけど、自覚はあるのだ。

おっちょこちょいで、鈍くさい。

そういうところも魅力だと感じる者は・・・彼女の可愛らしい容姿と相俟って・・・多いだろうが、もちろん彼女自身はそうは思っていない。

「だけど・・・うん! 頑張るしかないよね!」

持ち前の明るさと前向きさ加減を動員して、楓子は力強く頷いた。

 ・・・タッタッタッタッタ・・・。

そんな楓子の耳に、ふとリズミカルな音が聞こえて来た。

なんだろう、と耳を澄ますまでもなく、その類の音に日頃から接している楓子には見当が付いた。

誰かが走っている足音だ。

「でも・・・こんなところで、誰だろう? この時間だと、運動部も余り来ないよね・・・」

聞こえてくるのは部室棟の奥、角の向こうで死角になっている辺りだろうか。

確かあの辺りには、裏山へ続くランニングコースと、ちょっとしたスペースがあったハズ・・・。

そう思って、楓子はこっそりと部室棟の角に向かった。本人に言うと嫌がるが、子供っぽいところの残る楓子は、その足音に好奇心を刺激されたらしい。その必要はないのに、足音を忍ばせて角の向こう・・・足音の聞こえて来た辺りを覗き見る。
 
一人の少年が、いた。

裏山のランニングコースを走って来たのか、トレーニングウェアに身を包んだ少年の顔には玉のような汗が滲んでいる。

荒ぶる呼吸をゆっくりと整えながら、ストレッチ運動をする少年の横顔は、楓子の目を奪うには十分なほど真剣で、凛々しいものだった。

(運動部の人、カナ? でも、なんでこんなところで走ってるんだろう・・・?)

少年を見詰めながら、楓子は疑問に思う。まるまる一つの山を持つひびきの高校には、運動部用のグラウンドが幾つもある。

野球部やサッカー部、陸上部にテニス部。そういった主な運動部には専門のグラウンドが完備されている。室内の運動部で言えば、体育館をバレー部とバスケ部が使い、他にも剣道場や柔道場等がある。

だから、裏山を縫うように設置されたランニングコースを利用する者は余りいない。どちらかと言うと恋人同士が訪れる、散歩道として認識されている感もある。

運動部の人じゃないのカナ・・・と、少年の正体に思いを馳せていると、ストレッチを終えたらしい少年が顔を上げた。

「・・・!?」

顔を上げた少年と楓子の目が、偶然にも絡み合う。楓子はびっくりして、次いで焦った。わけ知らず、顔がかぁっと熱く染まる。

もっとも、少年の方も楓子に負けず劣らずの動揺を顔に浮かべていた。

「あ・・・えっと・・・」

硬直している少年と、覗き見をしていた気まずさにうろたえながら、楓子はおずおずと部室棟の陰から出た。

「ご、ゴメンなさい。その・・・えっと・・・足音が、聞こえたから」

しどろもどろに必要のない言い訳を口にすると、少年は意外なほど人懐っこい笑みを浮かべた。

「別に良いよ、ここ、俺の家ってわけでもないから」

ほっと安堵して、楓子は少年に近付いて行く。

「あの・・・もしかして、運動部の人、ですか?」

ふと、どこかでこの少年に会ったことのあるような気がして、楓子は聞いた。部室の周りで会ったのかもしれない、と思ったのだ。

「いや、どこにも所属してないけど・・・」

ぽりぽりと頭を掻きながら少年は困ったような顔をする。

「実はさぁ、これ、って言うのが見付からなくて。でも一応、運動部には入ろうとは思ってるんだよね。ほら、ここって途中入部、自由でしょ?」

「そうですね」

自由な校風のひびきの高校では、好きな時に部活に入ったり、部活を変えたりすることが出来る。

校長が言うには「自分に合う部活を見付けるのも大事である!」とのこと。

校長がそうだから、現場である各部でも途中入部に対して寛容な雰囲気を持っている。顧問も、生徒達もだ。

だから彼のように、4月には入部しないで夏頃に部活を決める人も少なくはない。

「まぁだから、とりあえず体だけは作っておこうと思って。・・・佐倉さんは、野球部なんだ?」

「え?」

名前を呼ばれて戸惑う楓子に、少年は自分の胸の辺りを指で叩いて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

楓子のそこには野球部のマークと名前が刺繍されている。楓子は納得して、頷いた。

「野球かぁ・・・。野球って、面白い? 俺、よくわかんないんだけど」

「面白いよ!」

間髪入れずに楓子は答えた。

「どこが、って言われると難しいんだけど、でも、みんなで一つのことを目指して、頑張って・・・えっと、それで・・・」

必死に言葉を探す楓子に笑みを浮かべながら、少年は楓子の言葉に耳を傾けている。

「うまく言えないけど・・・でも、わたしは凄く好き。野球、っていうスポーツも、それに打ち込んでる人も」

「ふ〜ん、そっかぁ・・・。じゃあ今度、練習でも見に行こうかな」

「うんうん、そうして! あのね、今度の日曜日にね、練習試合があるの! きっとね、見に来てくれれば分かると思うよ。野球の魅力、って言うのかな?」

「練習試合があるんだ? どこでやるの?」

「あ、うちの学校だよ。午前中は合同で練習して、その後に新しいチームで試合をするの」

「ふ〜ん、そういうことってよくやってるの? 合同練習とか、試合とか」

「そんなに多くはないけど、3ヶ月に一回くらいは、他の高校に行ったり、呼んだりして、練習試合をしてるみたい」
 
「へぇ、そうなんだ。・・・あ、だから洗濯してたんだ?」

「うん! やっぱり、綺麗なユニフォームで、頑張って欲しいよね!」

弾けるような笑顔で楓子は頷く。

決して人懐っこい方ではない・・・特に男の子が相手だと、むしろ奥手になる楓子だが、なぜかスラスラと、言葉が弾むように出てくるのに気付いた。

(なんだか、話やすい人、だなぁ・・・。どこかで会ったこと、あるかなぁ・・・?)

少年の顔を見た時に感じた引っ掛かりが、再び頭をもたげてくる。

「・・・あ、あの、ひょっとしてどこかで・・・」

と、楓子が意を決して確かめようとした時。

「・・・武人くーん!」

楓子の背中から、元気いっぱいな女の子の声が聞こえて来た。

「おう、光!」

楓子の背中の先を見た少年が手を振る。楓子が振り返ってみると、陸上部のユニフォームを来た少女が、手を振りながら近付いてくるところだった。
 
溌剌とした、正に「健康美少女」って感じの女の子の登場に、楓子の劣等感が僅かに刺激される。

運動が苦手で、ちょっぴり太めなことを気にしている楓子は、彼女のようないかにも運動が得意そうで、引き締まった体付きの女の子に憧れている。

それに屈託なく笑う姿が、少し引込み思案な楓子には眩しく映る。

素敵な人だな・・・と、憧れる想いと、ほんの僅かな嫉妬心がちくりと突き刺さった。

「やっほー、まぁ〜たこんなところで走ってるのぉ?」

と、そこで楓子をまじまじと・・・失礼な仕草なのかもしれないが、どことなく無邪気な様子に不快感は感じない・・・見詰め、「ふ〜ん」と横目で少年を見た。

「ひょっとしてあたし、お邪魔だったかなぁ?」

「なに言ってるんだよ。佐倉さんに失礼だろ!」

「は〜い! ゴメンね、佐倉さん」

「あ・・・ううん・・・」

人懐っこく話し掛けてくる少女に、一層楓子は居たたまれなくなる。

それにこの二人の親しげな様子。

ひょっとしてお邪魔虫なのは自分の方なんだろうか・・・?

「あっと! あたし、陽ノ下光って言います! 光、で良いよ?」

「さ、佐倉楓子です。・・・光、さん・・・?」

「うん、それで良いよ、楓子ちゃん! ・・・で、良い?」

目線で「駄目かなぁ?」って問い掛けてくる光に、楓子は笑みを浮かべた。

「うん、それで良いよ」

頷いてから、そう言えばまだこの少年の名前を聞いてないことに気付き、楓子は視線を少年に移した。

同じく自分が名乗っていないことに思い当たったらしく、少年もきまりわるげに頭を掻きつつ口を開く。

「あ、えっと・・・綾野武人です・・・」

「・・・もしかして今まで名乗ってなかったのぉ? 武人くんて、どっか抜けてるよね〜」

「悪かったな!」

憮然とする綾野に、光が「ゴメンゴメン!」って手を合わせている。

その様子はいかにも仲が良さそうで・・・もっと言えば、まるで恋人同士のようで・・・楓子は一層、居心地の悪さを感じてしまう。

「あ、あの・・・! それじゃあ、わたし、野球部のお仕事があるから・・・」

「あ、うん。ゴメンね、忙しいのに。今度の日曜日、試合見に行くから」

「へ? 試合ってなぁに?」

「今度野球部の試合があるんだってさ。それ、見に行こうと思って」

「ふ〜ん。そう言えば武人くん、昔野球もやってたっけ? あ、でも、それじゃあ陸上部はぁ?」

「なんだよ、別に入るなんて言ってないだろ?」

「だってだって、もったいないよ! 武人くん、足速いじゃない! 一緒に陸上部、入ろうよー!」

「考えておくけど・・・どうもピンと来ないんだよなぁ・・・」

う〜んと唸る綾野の様子に、光は不満気な顔を見せる。

(そっか・・・、綾野さん、陸上部に入るのかな・・・?)

なんとなく残念に思いながら、でもしょうがないよね、と心の中で呟く楓子だった。

「それじゃあ、わたしはこれで・・・」

「うん! またね、楓子ちゃん! 部室辺りで見掛けたら、声かけてね!」

光が輝くような笑みを浮かべる。曖昧な笑みを返して、楓子は小走りに洗濯物の方へ向かった。

「ねーねー、良いじゃん。陸上部、入ろうよぉ! 絶対絶対、レギュラーになれるよ、武人くんなら!」

後ろから聞こえてくる光の弾むような声が、なんとなく心をざわめかせた。
 
 
 

ざわざわと木々を揺らしながら、初夏の風が吹き抜けて行く。

なぜだろう、心地良いはずのその風は、今の楓子には湿った不快なものに感じられた。
 
 
 
 
 

      >つづく<
 
 
 
 


*次回予告!*
 
晴天に恵まれた日曜日。
少年は一人、眩しい日差しに目を細める。
 
「頑張って! まだまだ、これからだよ!」
 
視線の先には一人の少女。
そして・・・。
 
「・・・武人くんの、馬鹿・・・」
 
 
 
あなたは精一杯、生きてますか?
あなたは精一杯、打ち込んでいますか?
 
・・・だったら一緒に、探しに行きませんか?
 
「勇気の神様A 一緒に野球、しませんか?」
 
現在執筆中!!
 
(都合により一部内容が変更することもあります)
 

*あとがきのようなもの*

・・・どうも、リニューアル版「勇気の神様」です。お待たせしまくり。物を投げないで下さい。
見ての通りかなり重複しますが、基本的に前回の序章と、未公開のその1をまとめてあります。光の扱いが違いますね。
御存知の通りエンディングを変えた、と言うか、正確にはもっと長く、先まで書くことに決めたお陰でこうなりました。
・・・そうです、今回の勇気の神様は長いです。無謀ですね。いや、ホント。
正直最後まで書けるかどうか、本気で不安です。途中でリタイアしても許して下さいませ。
今回を除いて、各話で一応の切りはつく、という逃げ手法を採用する予定ですので。

それでは「勇気の神様」リニューアル版。予定では全12話+4話。
自ら明言して、プレッシャーをかけておきます(笑)。
せめて半分は書きたいと、後ろ向きなことを考えておりますので、どうか今後ともよろしくお願いします。
 

作者:柊雅史


ときめきメモリアル2はコナミ・KCETの作品です。
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