楓子ちゃん進級おめでとう記念SS(?)
 「TOMORROW」   作:子龍


その日は、3月も終わろうという時節に似合わず、肌寒い陽気だった。
雪でも降ろうかという寒空の下、トボトボと歩く一つの影があった。 彼女の名は、佐倉楓子。野球部のマネージャーである。

・・・彼女は今、悩んでいた。 最近、マネージャーとしての仕事がうまくいかないのである。
元来、おっちょこちょいで失敗の絶えない彼女であったが、 持ち前の明るさと一生懸命さでフォローしながら、
先輩マネージャーとともに約1年間、立派に野球部のマネージャーを務めあげてきた。

しかし、その頼りになった先輩マネージャーも卒業し、 2年生マネージャーのいない野球部は、 楓子1人がマネージャーの重責を一身に担っていた。

マネージャーの仕事は実に多岐にわたる。
部室の掃除、ユニフォームの洗濯・裁縫、備品の買い出し・管理・手入れ、 練習試合の調整、スコアづけ、部員の健康管理・怪我の手当て、etc...

いわば雑用ばかりであるが、彼女は決してそれが嫌いではなかった。
いや、むしろ自分が頑張ることによって部員が少しでも喜んでくれれば、 その苦労などどこかへ飛んでいってしまうのである。

(私はグラウンドに出てみんなと一緒にプレーすることはできないけど、 私、野球が好き。部のみんなが好き。だから、精一杯応援するの。
 そしていつか、ひびきの高校が少しでも強いチームになれば。 ・・・ううん。強くなくたっていい。みんなが悔いなく頑張ってさえくれれば)

甲斐甲斐しいとはまさにこのことだ。 そこには好意を押しつける気持ちなど微塵もない。
だからこそ、部員もその気持ちをくんで、練習にも自然と身が入る。
実際、結果もついてきていた。約3ヶ月ごとに行われる定期的な練習試合も、 新チームになってから負け知らずである。

しかし、それに比例してマネージャーの仕事は増えていく。
先日までは、3年生の部員が引退してからも、 先輩マネージャーはちょくちょく顔を出して、楓子をフォローしてくれていた。

しかしその先輩マネージャーも今はいない。 2年・1年を中心とした新しいチームが1つになろうとしているときに、
仕事が大変だからといって、いつまでも先代が顔を出すというわけにもいかないからだ。
先輩マネも、助けてあげたいのは山々であったが、これは世代交代のための産みの苦しみ、 いわば親心と割り切って、楓子に全てを託したのだ。

楓子もそれはわかっていた。だからこそ、日々の仕事にも気合が入る。

「私がしっかりしなくちゃ・・・!」

しかし、気合を入れようとも、一生懸命頑張ろうとも、仕事が好きであろうとも、 必ずしも結果に反映されるとは限らない。これはどんな世界でも同じ。
気合は空回りし、一生懸命さが逆に仇となり、肩に力も入って、 今まですんなりこなせていた仕事も失敗するようになっていった。 まさしくスランプである。

春になれば、新入部員も入ってくる。 マネージャーもおそらく入ってくるだろう。 と同時に、1年生マネージャーを教育するのも楓子の仕事になる。
今までは先輩マネージャーの背中を見て仕事をしていれば良かった。 しかしこれからは違う。楓子自身が後輩を引っ張っていかなければならない。
それは、さらなるプレッシャーとなって彼女に襲いかかり、スランプに拍車をかけていった。

「私、マネージャーに向いてないのかなぁ・・・」

良からぬ思いが頭をよぎる。

「噂では、隣町のきらめき高校の野球部の私と同い年のマネージャーさんは、 まだ1年生なのにマネージャーの仕事を十二分にこなして、
 試合の日には部員全員に手作りのお弁当まで作ってあげてるって話。 ・・・とても私には真似できないなぁ」

スランプの時は、えてして周りの人間が立派に見えるものである。 噂話にまで敏感に反応してしまうほど、楓子は悩んでいた。

今までは、部活が終わって家路につくとき、沈みゆく夕日に向かって 「明日も頑張るぞぉ!」と、跳ねるように歩いていた楓子であったが、
ここ1ヶ月は下ばかり向いて歩いていた。それだけに、自然とため息ももれる。

こんなことが日課となり、 いつしか、楓子の「野球が好き、部のみんなが好き」という気持ちにも 暗い影を落とし始めていた。

「だめだめ、こんなこと考えちゃ!私が頑張るしかないんだモン!」

自身を励ますように心の中で繰り返しながら、楓子はキッと前を見据えた。
夕日が、伊集院邸の影に隠れようとしている。 それに合わせるように、自然と楓子の視線も下に落ちてしまった。

と、その時、楓子は何かを見つけた。

「何だろう、あれ?生き物みたいだけど・・・」

楓子はその物体に近づいていき、しげしげと見つめた。 それは、道端で動けなくなっているイモリであった。

「どうしたのかなぁ、こんなところで」

楓子は身をかがめ、イモリを手にとる。 普通の女の子であれば敬遠するところだが、彼女は無類の爬虫類好きだった。

・・・イモリは両生類なのだが、この際どうでもよかった。 彼女の優しさの前では爬虫類も両生類も新人類(死語)もない。
優しさのボーダレス、優しさライセンスの発行である。

今日の寒さの影響だろうか、イモリはピクリとも動かない。まさに虫(?)の息だ。

「う〜ん、今日の寒さで、また冬眠しかけてるのかな・・・?」

そんなことはないだろうが、イモリの生命の危機には変わりはない。 楓子はそのイモリを手で包み、家路を急ぐことにした。


家に帰るなり、楓子は水を張り、砂利で簡単な陸地を作った プラスチックの昆虫ケースを用意し、イモリをその中に入れた。
しかし、イモリは何の反応も示さない。 イモリの餌になりそうなものも用意したが、やはり反応はなかった。
楓子は部屋を温かくし、懸命にイモリの蘇生につとめた。

「イモリさん、頑張って・・・」

看病は深夜にまで及んだ。しかし、部活での疲れも手伝って、 いつしか楓子はそのまま眠ってしまった。
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♪お昼休みはウキウキウォッチング あっちこっちそっちどっちいいとも♪

楓子は、何か楽しげな音楽に気づき、うっすらと目を覚ました。

♪お昼休みはウキウキウォッチング あっちこっちそっちどっちいいとも♪

彼女は大きな目をしばたたかせ、意識を取り戻す。

「いっけな〜い!もうお昼?完全に遅刻だよぉ!」

今は春休みなので学校はなかったが、部活は毎日、朝から夕方まで予定が組まれていた。

・・・しかし何か様子がおかしい。 ブラウン管を通して見えるはずの番組のセットが、まさに目の前に広がっているのである。

「あれ、私・・・?観覧希望のハガキ、出したっけ?」

楓子はまだ意識がはっきりしていないのか、冷静な考えができなかった。
そうこうしてる間に、見慣れた顔が現れる。

♪ご機嫌斜めは まっすぐに イエィ♪

高校生の楓子にとっても、お昼の顔はお馴染みだ。
・・・しかし何かが違う。体が黒い。お腹が赤い。手足が短い。 テカリがある。尻尾がある。・・・イモリだ。

しかし、顔は間違いなくお昼の顔である。御法川さんとは違う。
未だにどこで売ってるのかわからない妙なサングラス、 そこはかとなくヅラっぽい頭髪も健在だ。

くどいが、お昼の顔に間違いない。和○アキ子とも、宮○和知とも違う。
宮本○知がお昼の番組を持っていたことを知る人は少ないが、 楓子は昔からのG党のため、欠かさずチェックしていたのだ。

まあそんなことはどうでもいいのだが、 呆気にとられる楓子を尻目に、歌は続いていった。

♪今日がダメでも いいトモロー きっと明日は いいトモロー  いいとも いいとも いいトモロー♪

・・・歌は終わったようだ。森○一義の顔をしたイモリは楓子の前に立ち、

「こんにちは!」

と挨拶をする。楓子は未だに状況を把握できていないので、挨拶を返すことができない。

「元気がないぞぉ。もいっちょ、こんにちは!」

若干ドリフが入っているような気もしないでもないが、楓子はとりあえず、

「こ、こんにちは・・・」

と、挨拶を返す。するとイモリは話を続ける。

「今日は寒いね!」

「そ、そうですね・・・」

楓子はおそるおそる、調子を合わせる。

「札幌は雪だってさ!」

「そ、そうですね」

「沖縄も雪だってさ!」

「そ、そうですね」

「んなこたぁない」

「はうぅ・・・」

いぢめられてしまった。しかし、これが彼の芸風だった。

「ところで、最近悩みがあるんだって?」

「えっ?」

気づくと、楓子は舞台の上に設けられたトーク用の席に座っていた。 後ろには、所狭しと造花が並べられている。

「祝・出演 ひびきの高校 校長 爆裂山和美」
「祝・出演 ひびきの高校 野球部一同」
「祝・出演 ひびきの高校 1年F組一同」
「祝・出演 ひびきの高校 楓子ちゃんを守る会一同

一部、彼女の聞いたことのない 妙な団体から贈られたらしき、ひときわその存在感を示す豪華な造花もあった。

楓子はぶんぶんと頭を左右に振り、考えを落ち着ける。

(そうよ、これは夢、夢なの。こんなこと、現実にあるわけないじゃない)

もはや、そう考えるしかなかった。半ばヤケクソである。
しかし、そうすることによって気が楽になり、肩の力が抜けた。 楓子はイモリの質問に答える。

「はい、そうなんです。最近、野球部のマネージャーとしての仕事がうまくいかなくって。 何とか私が頑張らないとって思ってるんですけど・・・」

「そっか。大変だねぇ。じゃあ、お友達紹介してもらおうか」

「ええ〜〜〜!?」

楓子は、自分で言ってしまった。これは恥ずかしい。 自分で言うくらいなら、観客の反応が何もなく、そのまま番組が進行するほうがマシである。

しかし、無理もない。やっと吹っ切れて話し始めた矢先で「お友達紹介」だからだ。

そして、テレホンショッキングのお友達紹介は、ご存知の通り、 アポ無しに見せかけて実はもう既に相手のスケジュールを押さえてあるものだからだ。
つまり、出演者側は紹介する相手を事前に考え、アポもとっておくのが暗黙の了解である。
無論、これは出演者本人の仕事ではなく、制作側・事務所側がやっておくことだが。

「ほら、どうしたの?西山アナも待ってるよ」

電話をかけるのは、今日は新人アナウンサー・西山喜久蔵が当番のようだ。

「そ、そんなこと急に言われても、向こうの都合だってあるんだから・・・」

当然のことである。誰だって、突然アポ無しで出演依頼の電話がかかってきたら驚くだろう。
さらに、背後に『スターウォーズ エピソード1』の ダースベーダーのテーマ曲が流れてきたら、向こう数ヶ月は監禁生活に突入だ。

しかし、イモリはその言葉をさえぎった。

「楓子ちゃん、そうやって相手のことを第一に考えることは大事なことだ。
でも、時には甘えてみるのも重要なんじゃないかな? 相手も結構、それを待ってるかもしれないよ」

突然イモリは語りモードに入る。

「今まで楓子ちゃんは、何とか1人で問題を解決しようとしてたんじゃないかな?
 人間1人の力なんてたかが知れてるんだよ。人間は1人では生きていけない。 頼り頼られ、助け合いながら生きてるんだ。
 今、楓子ちゃんにとって一番大事な仲間は野球部の仲間かな? 野球部が試合に勝てば楓子ちゃんも嬉しいよね。
 喜びを分かち合うことができるなら、苦しみも分かち合わなくちゃ。 名犬ジョリーの精神だよ」

・・・人の道をイモリに説かれることに若干の違和感はあったが、 楓子は素直にその言葉を聞き入れていた。しかし、彼女はちょっと反論する。

「で、でも、それって野球部のみんなにとっては迷惑かもしれないし・・・」

もともと臆病な性格の楓子だ。 さらに、転校続きの彼女にとって今の野球部は、やっと見つけた自分の居場所なのだ。
楓子にとって、それを失うことは人生の目的を失うことにもなりかねない。

イモリは優しく語り掛ける。

「・・・人に弱みをみせるのは勇気がいることだ。 でも、その一歩を踏み出すことによって見つけられるものもあるはずだよ。
 その勇気がないなら、僕がそのキッカケをあげるよ。・・・手を出してごらん」

いつのまにかイモリのキャラクターが変わっているようだが、 楓子にとってはそんなことは些細なことだった。彼女は素直に手を差し出す。

「これを身につけて、明日の部活に出てみなよ。きっといいことがあるから」

イモリから受け取ったそれは、楓の形をしたペンダントだった。 イモリの手の形に似てなくもない。

「えっ、これって・・・」

楓子がイモリに尋ねようとすると、そのペンダントが光を放ち始め、楓子を包んだ。 そして彼女は、再び意識を失っていった。
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楓子が目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。 イモリの看病をしながら、そのまま突っ伏して寝てしまっていたのだ。
体には、誰がかけてくれたのか、毛布がかけられている。

「あれ、私・・・?そっか、寝ちゃったんだ・・・」

楓子は、未だもうろうとした意識の中で、大事なことを思い出した。

「そうだ!イモリさんは!?」

目の前の昆虫ケースを見ると、イモリの姿はなかった。どこからか逃げ出した形跡もない。

「どこに行っちゃったんだろう・・・」

楓子は辺りを見まわす。ふと、自分の手に握られているものに気づく。 楓の形をしたペンダントだ。

「何だろう、これ?」

楓子は、夢の内容を覚えていなかった。 何か大事なもののような気がするのだが、思い出せない。
ふと、時計が目に入る。時計の針は、8時半をさしていた。

「いっけな〜い!部活に遅れちゃうよぉ!」

練習は9時からである。さらに、マネージャーとしては 準備のためにもっと早くから来ていなくてはいけなかった。
イモリのことは気になっていたが、今はそれどころではない。 足早に身支度を整えると、楓子は家を飛び出した。


楓子が学校に着くと、もう時間は9時をまわっていた。完全な遅刻だ。

「こら、佐倉!何やってたんだ!早く準備しろ!」

「す、すいませーん!」

鬼コーチの雷が落ちる。楓子はこのコーチが苦手だった。
彼の名は、須貝蹴太。 去年からこのひびきの高校野球部に就任してきた、凄腕のコーチである。
過去、明治大学を卒業後、社会人野球で弱小といわれた名古屋のチームを優勝に導き、 「燃える男」と呼ばれたエースピッチャーである。

その後、往年のピッチングができなくなるや、若くしてチームを離れ、 全国各地の高校の野球部にコーチとして就任し、
数校を甲子園に導いた実績を持つ。 ただ、未だコーチとしての優勝経験はなかった。

楓子は、事あるごとにこのコーチに叱られていた。 今までは先輩マネージャーが防波堤となってくれていたのだが、その先輩も今はいない。

「はぁ、今日もついてないなぁ・・・」

更衣室で着替えながら、思わずため息をもらす。
ジャージに着替え終わり、制服をロッカーにしまおうとしたとき、 制服の胸ポケットから楓のペンダントが落ちた。

「あれ、いつのまに持ってきてたんだろう?」

朝、急いで身支度を整えたからか、無意識的に持ってきてしまったらしい。

「どうしよう、これ・・・」

ペンダントの処置に迷っていると、外から怒鳴り声がした。

「佐倉ぁ!早くしろ!練習は始まってるぞ!」

再びコーチの雷が落ちる。

「は、はーい、今行きます〜」

楓子はペンダントをジャージのポケットにしまいこみ、グラウンドに出た。

午前中は、体力作り、キャッチボール、ノック、ティーバッティングなどの基本的なメニューが中心だ。
午後からはフリーバッティング、内野の連携、そして紅白戦と、実戦的な練習に移る。

その間、マネージャーも仕事に追われる。
部室の掃除、汗拭きタオルの準備、洗濯、スポーツドリンクの準備、得点盤の準備、
さらにコーチから、部員一人一人の練習中の動きのチェックまで言い渡されていた。

当然ながら、楓子には野球経験がない。 フォームや捕球動作などの専門知識はゼロに等しかった。
そんな楓子が、凄腕のコーチに野球のことで進言できることなどありはしない。 楓子は、その旨をコーチに伝えたが、

「お前にしかできないことだ。とにかくやってみろ」

の一点張りである。とりつくしまなどありはしなかった。

「そんなこと言われたって、無理なものは無理だよぉ・・・」

楓子は泣きそうになったが、それをぐっとこらえる。泣いたって何も始まらない。

ふと、ノック中のグラウンドにボールが1個、転がっていた。 場合によっては、ノックを受けている選手の守備範囲にも入りそうな位置だ。

「あぶないなぁ。拾っておこう」

楓子は無用意にダイヤモンドの中に入る。すると、

「あぶない!佐倉さん!!」

1年の祐輔が大声を上げた。

「えっ?」

気づいたときには、どこからか飛んできたボールはもう彼女の目の前に迫っていた。 声をあげる間もなく、楓子は驚きで意識を失ってしまった。


「・・・う、う〜ん・・・」

どのくらい気を失っていたんだろうか。楓子は保健室のベッドで目を覚ました。

「あれ?私・・・」

「良かった!気がついたんだね!」

付き添ってくれていたショウが声をかける。

「今、ちょうど休憩時間なんだ。部のみんなを呼んでくるよ!」

ショウは、勢いよく保健室を飛び出していった。

「そっか、私、ボールにぶつかって気を失っちゃったんだ・・・」

楓子は何が起こったのかを思い出した。しかし、どこも痛いところはない。手当てをした形跡もない。

「あれぇ?確かにボールがぶつかったはずなのに・・・」

頭、顔、体・・・。実際に触ってみるが、確かにどこも痛くない。 ふと、ポケットの中に異物感があるのに気づく。
楓子がそれを確かめようとしたところへ、部のメンバーが駆けつけてきた。

「大丈夫か!?マネージャー!」

「良かった〜!心配したよ、楓子ちゃん!」

皆、思い思いの言葉をかける。

「私、一体どうしたの?ボールにぶつかったはずなのに、どこも痛くないの」

楓子の問いに、キャプテンの川鍋が答える。

「俺たちが気づいたときには、もう楓子ちゃんは倒れてたんだ。 そして、どういうわけか近くに真っ二つになったボールが転がってて・・・
 俺たちも、何がどうなったかわからないんだよ」

第一発見者の祐輔が続ける。

「俺も、ぶつかったと思ったときには目をそらしちゃったから・・・」

皆が、何が起こったかもう一度思い出そうとしていると、 突然コーチがどなりこんできた。

「コラ、お前ら!いつまで油売ってんだ!休憩時間はもう終わってるぞ!」

「お、押忍!」

部員たちは、クモの子を散らすようにグラウンドに戻っていった。

「佐倉も、体がなんともなかったら早く戻れ!これから紅白戦だ。 仕事はまだまだ残ってるんだぞ!」

「は、はい!」

厳しい言葉を残し、コーチも保健室をあとにする。


そこへ、保健のようこ先生が戻ってきた。

「あら、気がついたのね。気分はどう?」

「はい、もう大丈夫です。でも私、どうしちゃったんでしょう?」

「うーん、どこも痛めてるとこは見当たらなくてね。私も困ってたのよ」

「そうですか・・・」

「でも、そのぶんなら大丈夫みたいね。でも、どうするの?大事を取って帰る?」

「いえ、コーチもああ言ってますし、部活に戻ります」

「そう。でも、無理はしないでね。もう、あなた一人の体じゃないんだし」

「ええっ!?ひ、一人の体じゃない・・・って!?」

「ふふ、ごめんなさい。変な言い方になっちゃったわね。 つまり、あなたはもう立派な野球部のマネージャーさんってことよ」

「な、なんだぁ、びっくりした〜。でも私、ドジばっかりだし、 コーチにも嫌われてるみたいだし・・・」

「あら、そうかしら?あなたが倒れて真っ先に駆けつけて、ここまで運んでくれたのはコーチなのよ。
 それに、私が帰ってきたとき、保健室の扉の前で心配そうに聞き耳を立ててたわよ、あの人。 それに気づいて、慌ててどなりこんだように見えたけど?」

楓子は驚きのあまり、言葉が出なかった。

「それにね。須貝コーチがこの間、ここに相談に来たの。

『俺は選手を教えることはできるが、それはただの強制にすぎない。 強制されて身につけた技術で試合に勝っても、そこから得られるものは少ない。
 もう一回り強くなるためには、自分の意志で強くなろうという自主性が必要なんだ。
 ・・・これは言葉で伝えることはできない。 その意志を植え付けるには、どうしたらいいんだろう』って。

 それで私、言ったの。

『野球部には、本当に野球が、部が、みんなのことが好きな子がいるでしょう?
 その子がいる限り、きっと大丈夫よ。それをキッカケに、野球部は強くなるわ。
 そして、強くなるのって楽しいって思えるようになったとき、 きっとあのチームは本当の強さを身につけることが出来るはずよ』って」

「その子って・・・?」

「もちろんあなたよ、佐倉さん。あなたが応援してるだけで、部のみんなの大きな力になるのよ」

「私が・・・ですか?」

「ふふ、あなたは最近、仕事に追われてばかりで部のみんなのこと、 あまり見てなかったんじゃない?コーチも気にしてたわよ」

「そっか、それでコーチは『選手の動きを見ておけ』って・・・」

「そういうこと。はっきり言わないところがあの人らしいわね」

自分は部にとって必要な存在。それがわかっただけで、楓子には大きな自信になった。

「ありがとうございます!私、もう大丈夫です!」

「そう?でも、無理はしないでね。あなたは一人じゃないんだから、 助けて欲しいときにはいつでも頼れる人がいるってこと、忘れないでね」

「はい!失礼します!」

楓子は元気に保健室を後にした。


日はもうかなり西に傾き、野球部は紅白戦に入っていた。

「佐倉!早く戻ってこい!こいつらじゃ、スコアも満足につけらりゃあせん!」

「はい、コーチ!」

この時ばかりは、コーチの名古屋なまりの叱咤も苦痛ではなかった。


・・・紅白戦が終わると、ランニングの後にミーティングを開き、部活は終了だ。 その後、1年生はグラウンドをならし、備品を片付け、着替えて帰る。
楓子はさらにその後に、自主的に備品の手入れをやっていた。 いつも通り、楓子が誰もいなくなったはずの部室に入ると、まだ部員が残っていた。

「あれ、みんなどうしたの?何か忘れ物?」

楓子が尋ねると、1年のリーダー格の柊が答えた。

「いや、これからは俺たちも備品の手入れをしようと思ってね。 楓子ちゃんだけに負担をかけるわけにはいかないよ」

「そんな、これは私が勝手にやってることだから・・・」

「じゃあ、これも俺たちが勝手にやってることだから・・・ね?」

「あ〜!私のマネしたぁ!ひど〜い!」

「あはは、ごめんごめん。でも、今日楓子ちゃんが保健室に運び込まれてから、 俺たち今まで何もしてなかったんだなぁって痛感してさ。
 コーチに大目玉くらっちゃったよ」

同じく1年の高村が続ける。

「ああ。今まで俺たち、佐倉に頼ってばかりいたんだなぁって。 俺ら、佐倉にいいとこ見せたいと思って、 練習や試合でばかり頑張ろうとしてたんだ。
 でも、それで佐倉に負担をかけてるってこと、見過ごしてたんだ。
 ごめんな。もうちょっと早く気づいてあげてれば、 今日みたいなことも起こらなかったはずなのに」

「ううん、そんなことないよ。・・・ありがとう、みんな」

「僕もこれから、マネージャーの仕事、手伝うよ! スコアのつけ方とか、テーピングの仕方とか教えてね!」

ショウが楓子の手をとって言った。

「あ〜!ショウ、抜け駆けは許さへんで!楓子ちゃん、うちにも!」

柴崎が立ちあがる。

「俺にも俺にも!」

部室は大騒ぎとなった。楓子は、涙をこらえるのがやっとだった。

「・・・うん。じゃあ、明日からビシビシいくよぉ!覚悟はいい?」

「おおう!」

今まさに、新生ひびきの高校野球部が誕生した。 もちろん、楓子もその大事な大事な1人である。

子供のころから野球は好きだったが、ほとんどその輪の中に入ったことはなかった。
引っ込み思案で運動神経も良い方ではなかったため、 他の女の子が男の子に混じって野球をやっていても、
楓子はそれに入っていくことはできなかったのだ。 また、小さい頃から引越しが多かったのも災いした。

しかし、楓子はようやく居場所を見つけたのだ。 楓子はそれが何より嬉しかった。

「私、ちょっと忘れ物しちゃったから、取ってくるね!」

「おう、転ぶんじゃないぞ!」

ケンヤがからかう。

「もう!私、そんなにドジじゃないモン!」

いつもの楓子が帰ってきた。もちろん、忘れ物というのは嘘である。 このまま部室にいると、嬉しさのあまり大泣きしてしまいそうだったのだ。

楓子は部室を出て、グラウンドの方へ歩いていった。 ポケットに手を入れると、粉々に砕けた楓のペンダントがあった。

「そっか、このペンダントが私を守ってくれたのね」

ペンダントは、夕日に反映してか、何か鈍い光を放っているように見えた。 その光を見て、楓子は全てを思い出した。

「イモリさんがくれたこのペンダントのお陰だったのね。ありがとう、イモリさん。」

すると、手に乗せたペンダントの破片が宙に舞う。 一瞬吹いた強い南風に乗って、その破片はキラキラと輝きながら天に吸い込まれていった。

「イモリさんも歌ってたもんね! ♪今日がダメでも いいトモロー きっと明日は いいトモロー♪って。
 そう、今はまだ私は立派なマネージャーとは言えないけど、 明日には一歩、明後日にはもう一歩、進んでいけばいいんだよね!」

楓子はキッと前を見据えた。夕日が、伊集院邸の影に隠れようとしている。 昨日見た風景と全く変わらないはずの夕暮れの風景。
しかし、希望にあふれた楓子の目には、 沈みゆく夕日が、まるで昇りくる朝日のように見えた。

「明日も頑張るぞぉ!」

そう言いながら楓子は、朱に染まった空を見上げ、小さなこぶしを握りしめながら歩いていった。
その先に置いてある、しまい忘れたボールの入っているバケツにも気づかずに。

ガシャーーーーン!!

「いったーーーーい!」

楓子は派手に転んでしまった。
・・・・まだまだ「立派なマネージャー」への道は遠そうである・・・・。



〜痕掻き(?)〜

最後まで読んで下さってありがとうございます。このSSを作りました、子龍です。

楓子ちゃんみたいなタイプが「先輩」になるとき、そして「本当の仲間」になるとき、 ぶつかるかもしれない「壁」というものをテーマに書きました。
・・・暗いですね〜、全体的に。ううっ、ごめんよ楓子ちゃん。 こんな暗い話を書くはずじゃなかったんだけど・・・(T0T)

暗いなら暗いで、「悩める楓子ちゃん」というのをせつせつと書ければよかったんですが、 残念ながら子龍にはそんな文才はなかったです・・・。

SS初執筆の子龍が書いた拙い作品に協力して下さった皆さんには、本当に感謝しております。

話の下書きチェックをして下さったショウさん、アドバイスを下さった柊さん、名前を貸して下さったドラサンズさん(西山喜久蔵アナ)・
スカイシューターさん(須貝蹴太コーチ)・ユースケさん・ 川鍋さん・高村さん・柴崎さん・アミーゴさん(ケンヤさん)、本当にありがとうございました。

そして、「ウキウキウォッチング」の正確な歌詞を教えて下さった フジテレビの『笑っていいとも』担当の方、 ありがとうございました(笑)←マジです


『ときめきメモリアル2』は、コナミ・KCETの作品ですが、 このSSのヘボさとは一切関係ありません。

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