深く、深く。

全身をバネにして、床を踏み抜くくらいに深く踏み込んで。

強引に、前へ飛び出ようとする体を上へと制御する。

高く、高く。

誰よりも高く舞うために。

そして強く、強く。

白いボールを相手のコートへ叩き付ける。

まるで時間がそこだけ止まったような世界。

まるで羽が生えたようなイメージ。

誰よりも高く飛んで、誰よりも素早く腕を振るう。

瞬間的に全身をバネにして、体中の力を一点で爆発させる。

・・・そして着地と同時に響く、歓声。
 
 

夢中になって高みを目指した。

夢中になってボールを追った。

夢中になって空を舞った。
 
 

『軽度の椎間板ヘルニアですね、生活には支障はありませんが、あまり激しい運動は避けて下さい』

『バレーボールですか? ジャンプは着地の時に腰に負担がかかるんですよ・・・・・・』
 
 

熱かった三年が過ぎて。

イカロスの蝋細工の羽は、溶けて消えていた。

地上に下りたイカロスは、二度と空を舞うことは出来ない・・・・・・。
 
 
 
 

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         僕がここにいる理由

        作:柊雅史(B組野球部マネージャー)

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「私、ドジだから迷惑かけちゃうこともあるけどね。えへへ!」

ちょっと照れたように君は言う。

「私、あんまり役に立ってないかもしれないけど、応援ならできるから」

ちょっと残念そうに君は言う。

・・・でもそれも、君の一つの魅力なんだよと。

みんなが言う。

そして僕も・・・・・・そう思う。

慰めでもなんでもなくて。

僕が今ここにいる。

それが証。
 

          ☆        ★        ☆
 

ひびきの高校に入学した僕は、しばらくの間部活を決めずにただなんとなく過ごしていた。

中学時代にやっていたバレーボールはもちろん、腰を痛めた僕に出来る運動部っていうのはほとんどなくて。けれど、中々運動と決別する勇気は得られずにいた。

でも一方で、このまま何もしないで高校の3年間を過ごすのも味気ないから・・・。

「・・・オレ、やっぱ文芸部に入ろうかと思うんだ・・・」

迷いながらも、僕はそう友人の京に告げた。

「へぇ・・・お前がかぁ? だってお前、中学の時は結構バレーで知られてたんだろ?」

「そうだけど、前にも言ったじゃないか。腰やられちまって、バレーは出来ないんだよ」

「ふぅ〜ん、でもよぉ、だったらマネージャーとか色々手はあるんじゃねぇの? 悪いけど、お前ってメチャクチャ体育会系だぞ」

「う・・・これでも一応、文章力はそこそこあるんだぞ!」

「へぇ、初耳だな! そこまで言うからには、自慢できることの一つくらいあるんだろ?」

「・・・・・・作文コンクールで県コンクールまで進んだ」

「へぇ・・・そりゃ凄い!」

「・・・・・・小学三年の時だけどな。ちなみに中学時代の国語の成績は、いつも4だった」

「5段階でか?」

「いや、10段階で」

「・・・・・・やめとけ、柊。お嫁にいけなくなるぞ」

「いや、そこまでひどくは・・・・・・」

「あのな、うちの文芸部はレベル高いの。ちょくちょく歌会とか開く本格派だぞ? それにだ、文芸部をどうこう言うわけじゃねーけど、お前、文芸部で燃えられるか? 部活動ってなぁ、あっちが駄目ならこっちにする、みたいな甘いもんじゃねーだろ?」

「う・・・帰宅部が偉そうに・・・」

「帰宅部だから言うんだよ! 俺は自分ってのが分かってる、部活動にゃ向かないってな。お前だって、分かってるんだろ? 自分が本当にやりたいこととか・・・・・・」

「・・・・・・京はオレが文芸部入るのは反対なのか?」

「当たり前だ! なにしろ俺は国語の成績、2だったからな! 昼時に小難しい話されたら胃に悪い!!」

「そりゃ絶望的だな。赤点3つで補習だぞ」

「やかましい、英語と国語で2つだから良いんだよ!」

「いや、よくないだろ、それ・・・・・・」

憤然とカツサンドに噛み付く京に僕は苦笑した。
 
 
 
 
昼飯を食べ終えた僕は、しばしぶらぶらと中庭を散歩していた。

考えるのは、さっき京に言われた言葉・・・。

『あっちが駄目ならこっちにする、みたいな甘いもんじゃねーだろ?』

・・・甘え、なんだろうか・・・。

確かに僕は物を書いたり、本を読むのが好きだけど・・・。

でもそれは、ちょっとした趣味の範囲で。

これまでは、バレーの合間に気分転換のような感じで、書いたり読んでいた。

軽い気持ちではない、と思う。

けれど、心のどこかに、未練を引きずっている自分がいる。

あの、なんとも言えない静寂の時間。

誰よりも高く跳び、瞬間の無重力を感じるあの時間。

そして、あの興奮・・・。

それが忘れられないでいる。

・・・今選ぼうとしている道の先にも、同じような興奮があるのかもしれないけれど。

でもそれはイコールじゃなくて。

イコールじゃない以上、中途半端に未練を感じた状態では、没頭することが出来ないかもしれない・・・。
 
 

自然と足が、部室棟の方へ向かっていた。

体育館脇、校舎の裏庭にある小さな部室棟。外でやる部活も、体育館でやる部活も、とりあえずここで着替えることが一応の決まりになっているらしい(実際はみんな体育館で着替えるそうだけど)。

もし、去年の僕が、そのままこの時間にいたのなら。

ここはきっと、通い慣れた場所になったのだろうけれど。

実際は、あまりここに来たりはしない。

すれ違う運動部の人達の顔が、なんだかやけに綺麗に見えて、心が痛むから・・・・・・。

 ドザドザドザドザドザーーーーーーっ!!

足早にその場を去ろうとした僕の耳に、突然そんな大きな物音が聞こえて来た。

「!!??」

びっくりして立ち止まり、僕は部室棟の方を振り返る。何かたくさんの、大きな物が落ちて転がったような物音は、確かに部室棟の方から聞こえて来た。

「な・・・なんだぁ? 一体・・・?」

僕目を瞬いて・・・そして、気付いた。部室棟の扉の一つが、半開きになっていた。

そこは野球部の部室で・・・まだ何か、がらんがらんと物音が聞こえてくる。

とりあえず誰かが怪我でもしてたら・・・ということで、そっと野球部の部室を覗いてみた。

「あの〜・・・誰か、いますか・・・・・・?」

「あ、はい〜!」

尋ねた僕にびっくりしたような声・・・女の子の声が返って来て、ぴょこん、と部屋の中央に置かれていた机の向こうから、女の子が顔を出した。

その女の子はしばし僕の顔を不思議そうな顔で見返す。

その間に、僕は床のそこここに散らばっている野球道具・・・バットやらボール、グローブなどの存在に気付く。

「あの〜・・・なんか今、凄い物音が聞こえたから・・・・・・」

問い掛けるような女の子の視線に僕がそう答えると、女の子の頬にパッと朱色の花が咲いた。

「あ・・・、えっと、ちょっと失敗しちゃって・・・。道具入れ、ひっくり返しちゃったんです・・・」

照れ笑いを浮かべながら、その女の子が恐縮したように言う。

「これ、一度に運んじゃおうー、って思って。でも、バランス崩しちゃって・・・・・・。わたしって、ドジだから・・・」

えへへ、と笑う女の子に、自然と僕の口元にも笑みが零れた。

「そうなんだ・・・これを一度にじゃあ、ちょっと大変だよ」

「うん、そうだったみたい・・・。駄目だよね、不精しちゃ」

「・・・あ、拾うの手伝おうか?」

「えぇ? い、良いよ! だって、野球部の人でもないでしょう?」

「そうだけど、こういう場合はお互い様だからね」

申し訳なさそうに首を振る女の子にそう言って、僕は手近に散らばっていたボールを拾い集める。女の子もちょっと迷ってから、「あの、ありがとうございます・・・」と言って、床に散らばった道具を拾い始める。

しばらく黙々と、二人で散らばった道具をダンボールに入れて行った。一抱えもある大きなダンボールに2つ分の、ボールとグローブ。改めて、これを女の子が一人で一度に運ぼうというのは、無謀だろうと思った。

「・・・ふぅ、こんなもんかな・・・」

「はい・・・。あの、本当にありがとうございました! それと、驚かせちゃってゴメンね?」

「いや、良いよ良いよ。・・・それより、まだ昼休みなのに、どうしてこんなもの引っ張り出してたの?」

「え? だって、放課後にはめいいっぱい、練習してもらいたいでしょう? だから、今の内にボールとかグローブとかのお手入れしちゃおうって、そう思ったから・・・・・・」

「へぇ・・・・・・マネージャーっていうのも、大変なんだね・・・。って、野球部のマネージャーだよね?」

「あ、はい! 野球部のマネージャーの、佐倉楓子、って言います!」

「あ、俺は柊雅史。B組で、部活は入ってないけど」

「柊さん、ですね?」

「はは・・・敬語じゃなくても良いよ、同じ一年だし」

そうそう、ひびきの高校は学年ごとに制服のデザイン(というか留め金の小物とか)がちょっと違うから、お互い相手が一年生同士だというのはすぐに分かっていた。

「それにしても・・・確か、野球部のマネージャーって一人じゃないよね? 他の人達は?」

「あ、別にこれってマネージャーの仕事っていうわけじゃないから・・・」

「へぇ・・・仕事じゃないのに、昼休み潰して手入れとかするんだ?」

「うん・・・。だって、わたしって別に野球のこととか詳しいわけでもないし、一緒に練習も出来ないでしょう? わたしに出来ることって、このくらいしかないもん」

「このくらいって・・・それって、結構大変じゃない?」

「う〜ん・・・でも、みんなはもっともっと、頑張ってるから。それに、わたしってドジでしょ? だから、いっつもみんなに迷惑ばっかりかけてるから、ちょっとだけでも良いから、みんなの役に立ちたい、って思うの・・・」

そう言って、佐倉さんは道具箱の中から泥で汚れたグローブを大事そうに取り出した。

「・・・グローブとか、ボールとか。こうして汚れるのは、みんなが一生懸命頑張った証拠、だよね・・・。だから、みんながもっともっと一生懸命頑張って、ボールもグローブも汚せるように、綺麗にしておいてあげるの。・・・・・・一緒に練習は出来ないけど、このくらいなら、ちょっと応援するくらいなら、わたしみたいなドジでも、出来るもんね?」

キュッキュッとボロタオルでグローブを磨きながら、佐倉さんが優しい目で言う。

丁寧に丁寧に、選手達が磨き損ねた汚れを、一つずつ綺麗に拭って行く。

そのひたむきな姿に、なんだかチクリと胸が痛んだ。

「・・・・・・あの、さ・・・・・・俺、手伝うよ」

「え!? そ、そんな・・・。悪いよ、そんなの・・・・・・」

「あ、いや・・・そうじゃなくて・・・・・・その、手伝いたいんだけど・・・・・・手伝っても、良いかな?」

「???」

僕の言い回しに佐倉さんは不思議そうに首を傾げた。

「えっと、とにかく・・・・・・手伝っても、良いかな?」

「う、うん・・・それは構わないけど・・・でも・・・・・・」

「じゃあ、手伝っても構わないなら、遠慮なくお言葉に甘えて手伝わせてもらうよ!」

申し訳なさそうな顔で迷いを見せる佐倉さんを押し切るように、僕はボロタオルを手に取って、ベンチに腰を下ろした。

そして、とりあえず誰にでも出来そうなボール磨きを始める。

「・・・・・・あの、ありがとうございます・・・・・・」

そんな僕の様子に佐倉さんがお礼を言って来たけど、僕は笑って首を振った。

だって・・・・・・お礼を言いたかったのは、僕の方だったから。

・・・・・・ただただ、僕は高みを目指していた。

ただただ、空を舞うことに夢中で、それ以外に目を向けていなかった。

踏みしめる床が、いつも綺麗に磨かれていたことも。

叩き付けるボールが、いつも綺麗に磨かれていたことも。

何気なく越えていたネットが、いつもピンと張っていたことも。

上ばかり見ていたから、気がつかなかったんだ。

いつだって、こんな風に気付かないところで支えてくれていた人がいたハズだった。

僕が高く跳ぶことに全霊を傾けていたように。

僕達が高く跳べるようにと、全霊を傾けてくれていた人がいたハズだった。

誰よりも高い場所を目指す。

誰よりも高い場所を目指す。

形は違っていても、目指していたところは同じだった。

そんな簡単なことに気付かなかった僕に、そんな簡単なことを気付かせてくれたから。

だから、お礼を言いたかったのは、むしろ僕の方だった。
 
 
 

「・・・そう言えば、柊さんは部活動とか、しないの?」

せっせと道具磨きを続けながら、ふと佐倉さんが聞いて来た。

「う〜ん・・・・・・いや、やっぱり、やることに決めたよ」

「そうなの? 何部?」

「うん。・・・・・・野球部のマネージャー、かな・・・・・・」
 
 
 

僕がここにいる理由。

大事なことを教えてくれた君の側にいたいから。

そしてもっとたくさんの、大事なことを教えてくれる君の側にいたいから。

夢を目指すための新しい方法を・・・・・・僕が知らなかった方法を教えてくれた、君の側に・・・・・・。
 
 
 

          ☆        ★        ☆
 
 
 

地上に下りたイカロスは、再び空を舞うことは出来なくなった。

けれどその夢は多くの人によって紡がれ。

やがて人は大空を舞う。

すべては。

地上に下りたイカロスが、自ら大空を舞う夢を失ったイカロスが。

夢の紡ぎ手として生きたからだと信じたい。
 
 
 
 
 
 

 >僕がここにいる理由・FIN<
 
 
 
 
 


*あとがき*

久々の投稿は楓子ちゃんにも送った半フィクション、ひびきのレベルで真実だったら良いな〜的「柊雅史と楓子ちゃん」の出会いです。
宿主レベルで言えば、宿主は楓子ちゃんのような人に出会わず、結局高校生活を帰宅部で過ごしたんですけどね(^^)
もし楓子ちゃんに出会ってたら、こんな展開もあったのかな〜と、悔やまれる日々であります。
・・・もっとも、その3年間でかなりの量の小説やらなんやらを書いたことを考えると、現状もそれなりに幸福なんですけどね♪
ではでは、今回はこの辺で〜〜〜♪
かなりノンフィクションに近い話でもあったので、なんだか照れますが、感想とかくれると最高にハッピーですっ!
 

作:柊雅史