それはひびきの高校の外れに咲く
 
 
 
孤独な桜の木の記憶
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

☆初夏〜楓子と花桜梨〜☆
 

体育館と部室棟の裏手にある物干しスペース。

野球部のマネージャーである佐倉楓子は、日に二度ここを訪れるのが習慣だった。

一回目は山ほどの洗濯物を手にやって来て、二回目は乾いたその洗濯物を抱えて帰ることになる。

「う〜ん、今日も良いお天気! 絶好のお洗濯日和だよね〜」

梅雨明けの晴天・・・夏の気配漂う日差しに目を細めながら、楓子は気持ち良さそうに「う〜ん!」と伸びをした。

足元には部員達のユニフォームが、洗濯篭に二つ、山盛りになっている。水を吸ってかなりの重さになっているそれを、これからえっちらおっちらと運ばなくてはならない。そう思うとちょっぴり憂鬱になりそうだが、楓子は「よ〜し!」と気合いを入れると、洗濯篭の一つを持ち上げた。

「あう・・・、お、重いぃ〜」

一歩踏み出した楓子の足元がふらつく。陽気に薄っすらと上気していた頬は、それとは違う理由で真っ赤に染まった。

「う、う〜ん・・・、やっぱりもうちょっと、細かく分ければ良かったかも・・・・・・」

ふらふらと歩き出した楓子は、ちょっぴり反省しながら、それでも持ち前の根性で物干しスペースに向かう。

「・・・うんしょ、うんしょ・・・」

リズムを取りながら進む楓子は、顔の前まで山積みされたユニフォームのせいで足元が見えていない。

結果、彼女の進行方向に落ちていたテニスボールの存在に、全く気付かなかった。

「・・・うんしょ、うんしょ、うん・・・・・・きゃあっ!」

突然地面の感触が「ぐに」って感じに変わり、ごろりと前方に転がる。彼女の足は運悪く、ぽつんと転がっていたテニスボールを踏んづけてしまったのだ。

(い、いやぁ〜ん!!)

転倒の痛みと、散らばって汚れてしまい、再度洗濯機行きの運命を辿る洗濯物を思って、楓子は心の中で涙を流したが。

 ぽすん。

そんな感じで、後方に倒れかけた楓子は何かに支えられた。

「・・・・・・あれ?」

ぎゅっと目を閉じていた楓子は、背中に感じる柔らかな感触にきょとん、と目を開ける。頭越しに後ろを振り返ると、見慣れた友人の顔がすぐ側にあった。

「・・・あ、八重さん・・・!」

後ろから抱きかかえるように彼女を支えてくれたのは、友人・・・だと思う・・・の八重花桜梨だった。いつも通りの感情が読み取り難い表情で、黙ったまま楓子を支えてくれていた。

「あ、ありがとう。・・・えへへ、またやっちゃった・・・!」

照れたように笑いながら、よいしょと立ち直る。

またもやふらふらする楓子に、花桜梨は珍しく苦笑を浮かべて、腕を支えてくれた。

「ありがとう・・・」

今度は恥かしさに真っ赤になった楓子だった。

花桜梨は楓子の抱える洗濯物の山から一抱え分の洗濯物を取ると、それをもう一つの篭に乗せ、ひょいと持ち上げた。

そのまますたすたと歩いてくる花桜梨に楓子は目を丸くした。

「八重さん、凄い〜。ひょっとして何かスポーツとか、してるの?」

楓子の問いに花桜梨は小さく首を振り、「別に・・・」と答えた。

「そうなの? でも、ホントに羨ましいなぁ。わたしもね、ちゃんと部員のみんなと一緒にトレーニングとかしてるんだけど、全然成果が出てこないの。いっつもみんなに迷惑かけちゃってるし、ドジばっかりしてるし・・・」

どうにか真っ直ぐ歩きながら、楓子は隣を黙々と歩く花桜梨に話し掛ける。真っ直ぐ前を見詰め、聞いているのかどうか良く分からない花桜梨だが、ちゃんと聞いてくれていることを楓子は知っている。

その証拠に、時折楓子を見る目は、どことなく優しい・・・ように、楓子には見える。

なんだか不思議な女性(ヒト)だな、と思う。

ほとんど自分のことも他人のことも喋らない。どこか近寄り難い空気と態度を取っているのに、近付いてみるとホッと安心出来るような雰囲気がある。

人間嫌い・・・っていう噂も聞いた。けど、そんな感じじゃない。

だって人間嫌いなら、こんな風に優しい目は出来ないと思う。

本当はみんなが思ってるよりも、ずっとずっと優しい女性(ヒト)なんだと思う。

どうしてか分からないけれど、自分には見せてくれるさり気ない優しさ。

それが八重花桜梨という女性(ヒト)だと、思う。
 
 
 
 

真っ直ぐな初夏の日差しの中。

真っ白なユニフォームを抱えて歩く二人。

仲の良い姉妹のような二人の出会いは、まだ桜の咲く春のこと。

桜の下、ちょうど今日と同じような、温かな日差しの中。

そこで生まれた、大事な思い出。
 
 
 
 

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<八重桜・守る会交流SS>
 
サクラの思い出
 
書き人
楓子ちゃんを守る会:柊雅史
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☆春〜花桜梨〜☆
 

高台にあるひびきの高校の屋上から見える景観は、密かに市内有数の絶景である。未だ自然の残るひびきの市の隅から隅まで、山間から流れ出て市内を分断し、隣町へと流れて行く川の全景も、ここからなら見ることが出来る。

その景観が好きだというわけではない。

澄んだ青空と、花の香りが匂う風が好きなわけでもない。

春の日差しの温かさも、別段彼女をここに招き、留める理由にはなっていない。

彼女・・・八重花桜梨は、ここの静けさだけを求めていた。

遠くに聞こえる生徒達の歓声。

町の喧騒も遥か遠くに聞こえる。

遠くに見える人の営み。

遠くに見える生徒達の笑顔。

遠く、遠く・・・。

決して彼女とは関わりにならない距離。

その距離が彼女を安心させる。

だから、花桜梨がその人影に目を留めたのは、全くの偶然だった。

普段は遠くをぼんやりと眺めている花桜梨が、ふと足元に視線を移した時、偶然目に入った奇妙な物体が、僅かに彼女の興味を引いた。

よろよろと動く、真っ白い物。

良く見ると、誰かが白い何かを運んでいるところだった。部室棟の裏手という場所柄から、多分どこかの運動部のマネージャーが、洗濯物を運んでいるのだろうと、見当はついた。

けれどちょっと・・・いや、かなり無謀な量を運んでいるように思える。

大丈夫かと思った途端、案の定白い物体は不意にふらふらとバランスを崩すと、ばさぁと地面いっぱいに広がっていた。

「あ・・・!」

思わず手摺を握っていた手に力がこもった。

上から見ていたので詳しくは分からないが、恐らく荷物運びの主が転んだのだろう。

「いったぁ〜い!」

そんな声が聞こえて来た。女の子の声だ。

その女の子はしばし地面に座り込んでいたが、やがてのろのろと散らばった洗濯物を拾い始めた。洗濯物を集め終えると、またふらふらと元来た道を戻って行く。

今度は転ばずに、白い洗濯物は部室棟の陰に消えた。なんとなく、花桜梨はほっと詰めていた息を吐き出した。

そんな自分に気付き、花桜梨はもう一度息を吐く。

今度は自分に対する溜息だった。
 
 
 
 

花桜梨は屋上の静けさが好きだった。

遠くに聞こえる喧燥。遠くに感じる他人の息吹。

決して自分に関わることはなく、自分が関わることもない距離。

その距離に安心出来る。

その距離が、安心出来るのだ。

遠くに喧騒が聞こえ、遠くに他人の息吹を感じる距離が。

喧燥が聞こえず、息吹を感じられない距離ではなく。

そんな自分が、堪らなく嫌だった。

僅かに、よろめいた彼女に手を差し伸べたいと、もどかしげに思っている自分がいる。

そんな自分が、堪らなく嫌だった。

そしてそんな自分を揺り動かしたあの人影が。

堪らなく、嫌だった・・・。
 
 
 
 
 

  「・・・先輩! 八重先輩っ!」

  帰り際に自分を呼び止める声がする。聞き慣れた自分を呼ぶ声。

  「・・・先輩! 八重先輩っ!」

  黙々と歩く自分を追い駆けてくる声。

  「先輩、どうしてバレー部を辞めちゃうんですか! みんな、みんな待ってるのに!」

  そんなはずないと、心の中で首を振る。

  あるいは・・・冷たく言う自分がいる。

  『待ってた・・・? だったら待たずに迎えに来れば良かったじゃない・・・』

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  「先輩、どうやったらあんな風にスパイクが打てるんですかぁ?」

  無邪気に問い掛ける少女。

  「あたしの目標は先輩なんですよぉ〜。えへへ、無謀ですよねぇ、あたしって運動苦手なのに・・・」

  無邪気に笑う少女。

  「先輩、もう一回、もう一回お願いします! もうちょっとで出来そうなんですっ!」

  苦しそうな顔で、けれど力強い瞳で言い募る少女。

  「先輩、先輩っ!」

  無邪気に、そして健気なまでに自分に話し掛け、頑張る少女。

  ・・・そして自分も。

  「・・・じゃあ、出来るまで頑張ろうか。出来るまで付き合ってあげる・・・」

  そんな少女が好きだった。
 
 
 
 

目を開けると視界が不自然に歪んでいた。

自分が泣いているのに気付き、乱暴に目を擦る。

まだ窓の外は暗いまま。

嫌な夢を見た体が、凍えたように震えていた。

震える手でベッドサイドに飾ってある写真立てを手に取る。

無邪気に笑っている少女と、そんな少女の隣で優しく笑っている自分。

吐き気がするほど嫌な光景。

「・・・・・・・・・っ!!」

振り上げた手が頭上で震える。

握った写真立てが、ピキピキと花桜梨の手の中で悲鳴を上げている。

そのまま、数秒。

花桜梨の手はゆっくりと下ろされた。
 
 
 
 
 

毎日毎日、その人影は同じようにふらふらと、部室棟と物干し場所との間を往復していた。

自分の心の奥にある、封じ込めたはずの感情を揺り動かすようなその人影が、花桜梨には煩わしくさえ感じられたが、気付くと視線はその人影を追っている。

・・・そんな日々が幾日か過ぎた頃。

屋上ではなく部室棟の裏にある散歩道に行こうとしていた花桜梨は、ふと足を止めた。

「・・・うんしょ、うんしょ、うんしょ・・・」

そんなリズミカルな声が耳に届いて来たからだ。

普段よりは若干遅い時間だけれど、その声の主には心当たりがあった。

誘われるように、花桜梨は部室棟の方へ向かう。

・・・彼女はいつものように洗濯物を運んでいた。

顔を真っ赤にして、やっぱり篭いっぱいの洗濯物に足元をふらつかせながら、「うんしょ、うんしょ」とリズムを取って歩いている。

可笑しいくらいの健気な姿。

健気で、一生懸命で、真っ直ぐで、真剣で。

そんな表情が、花桜梨の心に響いてくる。

「・・・・・・あ!」

少女を見詰めていた花桜梨は、不意によろめいた少女に、思わず声を上げた。

少女はよろよろとよろめいたが、ユニフォームを一枚、コンクリートの地面に落しただけで持ちこたえる。

ホッと安堵の息を吐いたのは、花桜梨だけではないだろう。

「ふぅ・・・、危なかったぁ〜。ここならそんなに汚れてないよね・・・!」

少女のそんな声が聞こえる。少女はゆっくりと腰を屈めて、どうにか落ちたユニフォームを拾おうとする。

最初は膝で篭を支えて片手を伸ばそうとしてふらふらし、次にどうにか篭を地面に置こうとして再びふらふらする。

腰の辺りまである物置台が物干しスペースにはあるのだが、そこに置くのと地面に置くのとでは勝手が違うようだ。

「・・・だ、駄目だぁ・・・。ど、どうしようかな・・・。篭を置いてる内に、飛ばされちゃわないかな・・・」

落ちたユニフォームを恨めし気に眺めながら、少女は迷っている。

そんな少女をしばし見守っていた花桜梨は、ゆっくりと少女に近付いていった。

そして地面に落ちたユニフォームを拾い上げる。

「あ・・・!」

少女がビックリしたような顔になる。

「ありがとうございます! あの、上に乗っけてくれませんか?」

無理に笑顔を作って少女が言う。そんな彼女の抱える洗濯篭から、花桜梨は一抱え分のユニフォームを取った。

「え・・・? あ、あの・・・?」

「・・・そこまででしょ・・・?」

「あ・・・、はい! その、ありがとうございますっ!」

ぱっと顔を輝かせた少女は頭を下げようとして危うくバランスを崩しそうになり、真っ赤な顔で照れ笑いを浮かべた。
 
 
 
 

どうしてあの時、自分は少女を助けようとしたのか。

人と関わることが嫌いなはずなのに。

その場凌ぎの偽善が嫌いなはずなのに。

なのに・・・。

・・・あの子を思い起こさせるような、一生懸命な少女。

ひょっとしたら罪滅ぼしだったのかもしれない。

あの時、最後まで振り返らなかった自分の罪。

偽善、まやかし、誤魔化し、嘘・・・。

吐き気がするような自分の行為。

なのに、少女の真っ直ぐな笑みと感謝の言葉は、花桜梨の嫌悪感を霧散させてくれた。
 
 
 
 
 

☆初夏〜楓子と花桜梨〜☆
 

初めて出会った時と同じように、洗濯篭を物置台に置いた二人は、並んで物置台に寄りかかり、少しだけ話をした。

話と言っても、一方的に楓子の方が話し、花桜梨は相槌を打つこともない。

そのスタンスは最初の出会いから変わってはいない。

ただ花桜梨は楓子の話を聞くだけ。

優しい目で耳を傾けるだけ。

だけどその光景は、楓子が仕事を思い出して立ち上がるまで続く。
 
 
 
 

元気いっぱいで、明るくて、真っ直ぐで、たくさんの友達がいるはずの彼女が、どうして自分と積極的に話してくれるのか分からない。

分からないけれど、自分のことを詮索したりせず、ただ熱心にお喋りを楽しむ彼女の話を聞くのは好きだった。

最後まで自分を追い駆けてくれたあの子のように、彼女も例え自分の過去を知ったとしても、変わらず熱心にお喋りを楽しむだろう。

そんな風に思えるから、理由なんてどうでも良いと思う。

信じる・・・なんて、馬鹿なことだけど。

彼女のことは信じても良いような気がする。
 
 
 

本当は優しいのに、それを見せないようにして、自分から人と距離を取ろうとする彼女。

彼女がどうしてそんなことをするのか、どうして自分には本当の彼女を見せてくれるのか、分からない。

分からないけれど、じっと自分の話を聞いて、言葉に出さないけれど、目で優しく頑張ってと言ってくれる彼女が好きだった。

優しく包み込んでくれるような温かさ。そんな温かさが心地良くて。

だから、理由なんて要らないと思う。

理由なんて分からなくても、理由なんてなくっても、彼女は彼女だから。

優しい彼女を、自分は知っているから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

桜舞う日差しの中、一枚の絵画のように。
 
 
仲の良い姉妹のように、並んでお喋りをする二人の少女。
 
 
その穏やかで、温かく、優しい光景がいつまでも続くように。
 
 
静かに少女達を見守りながら、花を散らした桜の木は祈っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これはひびきの高校の裏手に咲く
 
孤独な桜の木の見た思い出
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
>サクラの思い出:FIN<